おわら風の盆(おわらかぜのぼん)
「おわら風の盆」とは「幻想的な無言の踊りが観客を魅力する盆踊りで、江戸時代から続く富山市の伝統行事」です。全国各地に伝わる夏のお祭りや伝統行事の中でも最も幻想的や芸術性が高いと評される「おわら風の盆」は優雅な女踊りと勇壮な男踊りが特徴的で、その姿を一目見ようと大勢の見物客が詰めかけ富山の秋の風物詩となっています。
おわら風の盆の意味とは
「おわら風の盆」の意味は以下の通りとなります。
(1)富山県富山市八尾地区で毎年9月に開催される、三味線や太鼓の音に合わせて踊りながら歩く盆踊り的な伝統行事。
(2)300年以上の歴史がある富山市を代表する伝統的な民謡行事で、大勢の踊り手が情緒ある街並みを無言で歩きながら披露する姿は幻想的で毎年20〜30万人の見物客が押し寄せる事から夏の終わりと秋の到来を告げる風物詩となっている。
(3)「越中八尾おわら風の盆」も同義。
”おわら”は諸説あり「大笑い」「豊作祈願」「小原村」とされるが定かではなく、”風の盆”は「富山の伝統的な豊作祈願」で、富山市で毎年開催される幻想的な踊りを披露する行事が「おわら風の盆」です。8月20日〜30日までが前夜祭、そして9月1日〜3日まで本番が開催され、商店街などの通りをそれぞれの町の支部代表者が踊り手となり、三味線や太鼓の音に合わせて無言で歩きながら披露する踊りは幻想的な事から、沿道には3日間で数十万人の見物客が詰めかける名物となっています。それだけに富山だけでなく北陸を代表する伝統的な祭りとして観光ツアーが組まれるほどの注目を集め、コロナ渦の2020年と2021年は開催が中止されましたが、2022年は10月開催となり2023年は再び9月開催が決定した事を受けて今から話題になっています。
おわら風の盆の由来
「おわら風の盆」は江戸時代の1702年に始まり、それからコロナ等で開催が中止になった事もありますが現在まで300年以上の歴史を誇っています。諸説あるようですが、当時の藩の許可証「町建御墨付文書」を悪い人物から取り戻す事に成功をした祝いとして三日間踊り明かしたのが起源と言われています。
おわら風の盆の文章・例文
例文1.東京を離れ北陸に転勤した最初はショックだったが、今ではおわら風の盆を誰よりも楽しみにするほど地元に馴染んでいる。
例文2.いつの日かおわら風の盆の踊り手になって参加したいと思っているが、他県民なので難しいだろう。
例文3.おわら風の盆が終わって数週間が経ったが、今でも動画サイトから映像を見て余韻に浸っている。
例文4.今年のおわら風の盆は30万人はやってくるので、地元にとっては経済の起爆剤としても見逃せない。
例文5.悩んでいたが、おわら風の盆のツアーに申し込む事にした。
「おわら風の盆」を使った例文となります。
- [adsmiddle_left]
- [adsmiddle_right]
おわら風の盆の会話例
-
明日から9月かー。9月というと何かがあった気がするけど…。
-
9月といえば、残暑や秋じゃないの。イベントなら運動会とか?
-
そうじゃなくて…、おわら風の盆だよ。地元民なのにすっかり忘れていた。
-
部屋に籠ってアニメばかり見ている私達にはおわら風の盆も関係ないでしょう。何言っているのよ。
富山在住者の「おわら風の盆」についての会話となります。
おわら風の盆の類義語
「おわら風の盆」の類義語には「越中おわら節」「風の盆」「越中おわら風の盆ツアー」、北陸を代表する伝統行事では「砺波夜高祭」「お熊甲祭り」「永平寺大燈籠ながし」などの言葉が挙げられます。
おわら風の盆の対義語
「おわら風の盆」の対義語はありません。補足として「祭り」の対義語は「お通夜」「通夜」「半通夜」などがあります。
おわら風の盆まとめ
富山市だけでなく北陸地方を代表する江戸時代から続く幻想的な踊りを披露する行事が「おわら風の盆」です。例年9月1日から3日まで開催されると数十万もの見物客が沿道に押し寄せ、音楽に合わせて披露される踊りは幻想的な事もあり、夏の終わりや秋の到来を告げる風物詩となっています。