一日三秋(いちじつさんしゅう)
「一日三秋」は「一日千秋」と同じ意味を持つ諺です。男性よりも女性なら知っている人が多い、恋愛状態や相手を愛しく思う気持ちを表現しています。相手に対し情深い意味の例えとして有名なので、この機会に覚えてみてはどうでしょうか。それでは「一日三秋」の解説となります。
一日三秋の意味とは
「一日三秋」の意味は以下の通りとなります。
(1)思い慕う気持ち、情が非常に強い。
(2)相手に対する情愛が強い。
(3)一日会わないだけで三年も会っていない気持ちになるほど、相手を愛しく、恋しいと強く感じる思い。
(4)”三秋”は三度の秋から三年となるので、愛しい人がいる当人にとっては一日会わないだけでも、三年間も会えなかったと思うほど苦痛に感じる長い時間。
恋愛の最中、或いは愛しくて堪らない人がいると、一日相手と顔を会わさないだけでも、まるで三回も秋がやって来たと思えるほど長い時間に感じるものと例えた諺です。それだけ、相手を思う気持ちが強く、夢中になっている状態が伝わります。現代流に解釈するなら、電話やLINEなどの返事が少し遅れただけで、焼きもちや心配をするような女性を言い表しているのではないでしょうか。
一日三秋の由来
「一日三秋」の由来は、中国最古の漢詩の詩篇「詩経」の「采葛」にある一文とされています。その漢詩では、クズの花を摘む人を恋い焦がれているあまり、一日見掛けないだけで三年も会えないように長く感じるとする気持ちを詠んでいます。
一日三秋の文章・例文
例文1.中学生の時にクラスメイトを初めて本気で好きになり、週末になると一日三秋の気持ちがどんどん強まった。
例文2.娘が大学入学で一人暮らしを始め、毎日が一日三秋のように辛く悲しい。
例文3.一日三秋とはドライな自分に関係ないと思ったが、入院し食事制限された時には、高カロリーな料理を毎日夢見るほど恋い焦がれた。
例文4.初恋の相手とSNSで偶然再会でき、それからは年甲斐もなく一日三秋のように会えない時が辛い。
例文5.出張で愛犬と一日会えないだけで、一日三秋の思いが強くなる。
「一日三秋」を恋愛だけでなく、娘や愛犬などにも例えた例文となります。
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一日三秋の会話例
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最近、恋愛していますか?
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私は今の彼と長いから、激しい恋愛中とは言えないけど、大好きだよ。
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いいですね。そう言うの。俺は長い間恋人がいないから、一日三秋の気持ちが今一つ分からないんですよ!
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でも、最近の若い世代は恋愛にドライだったりするから、別にいいんじゃないかな。誰かを好きになっても、好きにならなくても、それでも人生だよ。
「一日三秋」な感情が理解できない若い男性の恋愛観について、女性が助言しています。
一日三秋の類義語
「一日三秋」の類義語には、「一日千秋」「一刻千秋」などの言葉が挙げられます。
一日三秋まとめ
「一日三秋」は、恋愛状態で相手を強く愛しく思う気持ちを例えた諺です。たった一日会わないだけでも、好きな人がいたり恋愛中の身にとっては、それがまるで三年間の様に長く感じるほどです。元となったのは、中国の漢詩の詩篇「詩経」で、まったく同じ意味として「一日千秋」があります。