三十六歌仙(さんじゅうろっかせん)
「三十六歌仙」とは「公卿・藤原公任が選出した平安時代を代表する和歌の達人36人の総称」です。和歌とは短歌形式の古典詩で、現在にも残されている俳諧や俳句や川柳などの基本であり元祖とされます。ですから、日本の古典文学などの独特表現は和歌が全て関わっていると言っても過言ではない絶対的な存在なのです。そんな和歌の達人「三十六歌仙」の解説となります。
三十六歌仙の意味とは
「三十六歌仙」の意味は以下の通りとなります。
(1)平安時代中期の公卿・歌人の藤原公任による歌論書「三十六人撰」に選ばれた柿本人麻呂・大伴家持・小野小町など総勢36人の優れた歌人の総称。
(2)藤原公任が選出した素晴らしい和歌の詠み手36人の事。
”三十六”は「36人」「36(人)を漢数字で表記したもの」、”歌仙”は「優れた歌人」「連歌や俳諧の形式の一つ」で、平安時代中期の歌人であり歌学者の藤原公任(ふじわらのきんとう)が選んだ全国各地の素晴らしい歌人36人の総称が「三十六歌仙」です。藤原公任という人物は漢詩や和歌に優れた人物で、詩歌集「和漢朗詠集」や歌論書「三十六人撰」などの書物を書き残しています。その「三十六人撰」に記された優れた歌人36人が「三十六歌仙」で、具体的には柿本人麻呂・大伴家持・山部赤人・小野小町・紀友則・凡河内躬恒・伊勢・藤原敏行・藤原兼輔・源宗于などが選ばれています。この時代の和歌とは、「五・七・五」や「五・七・五・七・七」などの現在にも受け継がれている日本独自の韻文で、この独特のリズムに合わせた和歌を茶会や庭園などで披露するのが貴族などの娯楽だったのです。「三十六歌仙」に影響され、その後は平安時代末期に藤原範兼が「中古三十六歌仙」、鎌倉時代中期には女性歌人による「女房三十六人歌合」なども誕生しました。
三十六歌仙の由来
「三十六歌仙」は平安時代中期の公卿・歌人の藤原公任が選出した全国各地の名立たる歌人36人の総称や名称で、歌人としては大変名誉で光栄な事でした。
三十六歌仙の文章・例文
例文1.三十六歌仙はそれぞれ和歌の達人として当時は相当な影響力を誇っていたのだろう。
例文2.現在のアイドルグループのような存在が三十六歌仙だったのではないかと想像力を膨らませる。
例文3.三十六歌仙の中でも最も有名なのは本人麻呂・大伴家持・小野小町の三人ではないのか。
例文4.三十六歌仙の中でも万葉歌人となるのが柿本人麻呂・山部赤人・大伴家持、六歌仙は小野小町・在原業平・僧正遍昭で、一つの集団の中でも細分化されていたのが大変興味深く、今にも通じるシステムが作られていたのです。
例文5.高校や大学入試で三十六歌仙あたりの日本歴史を必死に覚えていた頃の記憶が蘇ってきた。
「三十六歌仙」の解説めいた例文となります。
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三十六歌仙の会話例
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今でもお金持ちはお茶会とか開いているんだよね?
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それはそうでしょう。皇族関係や上流階級の人達は特殊な世界で生きているから、お茶会で交流を深めるのよ。
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そこで和歌を詠んだりするの?
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和歌は…、流石に分からないけど、でも三十六歌仙の末裔などがお茶会を開いたら、そこで参加者に一句詠んだりするんじゃない。何て言ったって、庶民とは住む世界が違う偉い人達だから。
上流階級の嗜みとして茶会について、庶民の男女が想像を膨らませて会話をしています。
三十六歌仙の類義語
「三十六歌仙」の類義語には、「西本願寺本三十六人家集」「新三十六歌仙」「古今歌人」「六歌仙」などの言葉が挙げられます。
三十六歌仙の対義語
「三十六歌仙」の対義語はありません。補足として、”和歌”の対義語は「俳句」「漢詩」などの言葉が挙げられます。
三十六歌仙まとめ
「三十六歌仙」は柿本人麻呂・大伴家持・小野小町など平安時代の有名な歌人36人の総称です。この36人は公卿・歌人の藤原公任が選定したもので、当時の最大娯楽ともされる和歌の名人に選ばれるのは大変名誉であり、だからこそ現在にも偉業が残されているのです。