保守本流(ほしゅほんりゅう)
「保守本流」とは「戦後日本の復興に貢献した吉田茂や佐藤栄作や田中角栄といった時代を象徴する権力者を多く輩出した自民党の最大主流派閥あり、伝統的な自民党らしさを表す政治用語」です。自民党内がゴタゴタしたり総選挙が近くなったり、或いは内閣支持率の低下が危惧されると、ニュースや新聞では「保守本流」という言葉が使われる事が多くなります。ニュアンスとしては「昔ながらの自民党」「自民党の中心」といった感じで、自民党や派閥を表現する言葉となっています。
保守本流の意味とは
「保守本流」の意味は以下の通りとなります。
(1)自由民主党の中で1950年代から続く一大派閥で、吉田茂が率いて佐藤栄作や田中角栄などの権力者を輩出した勢力で党内の主流を占めている。
(2)戦後日本の保守政党である自民党の特定派閥を指す表現で、現在は岸田文雄総理大臣が率いる「宏池会」並びに通称「岸田派」を指すが、他にも「平成研究会」「為公会」なども含まれる。
”保守”は「正常な状態を保つ」「旧来の風習や伝統などを重んじて守る」、”本流”は「二つ以上の河川が合流して根幹をなす流れ」「主流」「中心をなす系統」で、そのまま読み取ると伝統の中心や守るべき主流といった意味ですが、それが政治用語として自民党の伝統的な派閥を指すのが「保守本流」です。この「保守本流」は非常に歴史があり、吉田茂が率いた当初の理念と現在ではかなりの乖離もあり、またメディアが総裁選や総選挙などで便利な言葉として多用するのでやや曖昧な意味となっているのも否めません。そもそもは1950年代に吉田茂が池田勇人・佐藤栄作らと中心となった派閥の表現であり、鳩山一郎・岸信介など対立する派閥との差別化で用いられました。要するに1955年に自由党と日本民主党が合わさり「自由民主党」が誕生しますが、そこではどちらも”保守”となるので吉田茂らは自分達が中心や主役であるとして「保守本流」と強調し、メディアも同調していったのです。それから時代は流れ、自民党内にはいくつもの派閥が誕生しては消えていく事を繰り返しますが、それでも吉田茂が生み出した「保守本流」はどんな時代でも党内の主流を占めて、現在は岸田派・麻生派・茂木派が系譜を引き継ぎ、安倍・菅政権やその派閥から奪還した事から「保守本流政権の復活」とも形容されています。
保守本流の由来
「保守本流」は上記のように吉田茂が率いる派閥や勢力を指す表現として1955年頃から使用されるようになります。それ以前の戦前戦後は巨大勢力という流れは合ってもそこから派閥とまではならず対立勢力も含めて「保守」でしたが、1955年12月に自由民主党が結成されると旧自由党が「保守本流」、旧日本民主党は「保守傍流」と呼ばれ始めます。
保守本流の文章・例文
例文1.保守本流が日本を牛耳る一大組織である。
例文2.日本を発展させたのも、そして疲弊させ墜落させたのも保守本流といっても過言ではない。
例文3.岸田政権の支持率低下が止まらないが、保守本流としてはそれも想定内なのだろう。
例文4.保守本流を異様に称えて媚び諂う政治コメンテーターの不気味さはカルト宗教の臭いを漂わせる。
例文5.政治システムを根本から変えない限り保守本流の牙城を崩すのは不可能に近い。
「保守本流」を使った例文となります。
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保守本流の会話例
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日本の政治って一体何なのか? 俺にはさっぱり分からない。
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突き詰めると、そこにいくわよね。
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戦後の混乱期に日本社会を立て直すには、保守本流というやり方や思想的なものは役立ったと思うよ。でも、今の世界や日本の状況を見るとそのやり方は通用しないし足枷となっているだけじゃないかと。
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でも、それを主張すると非国民扱いだからね。自民党や保守層に対して違った意見を提案すればブーイングされるから、もう落ちるところまで落ちるしかないんじゃない?
日本の現状を憂う二人の会話となります。
保守本流の類義語
「保守本流」の類義語には、「保守傍流」「木曜研究会系」「春秋会系」「ネット保守」「ネット右翼」などの言葉が挙げられます。
保守本流の対義語
「保守本流」の対義語はありません。補足として”保守”の対義語は「革新」「改革」「刷新」「改新」、”本流”は「支流」「分流」「傍系」などの言葉が挙げられます。
保守本流まとめ
「保守本流」は自民党において吉田茂の流れを汲む派閥で、現在は岸田総理を中心とした岸田派を指す表現となります。要するに伝統的な自民党らしい政策や体制を良くも悪くも「保守本流」として、政治を語る上では欠かせられない重要な政治用語となっています。