六十の手習い(ろくじゅうのてならい)
「六十の手習い」とは「60歳で習字を始める事から、高齢になって稽古や習い事を始める喩え」です。有名な諺「習うは一生」に近いニュアンスを持つのが「六十の手習い」で、要するに若さや老いを気にするのは本質を見失っていて、学びたい気持ちこそが最も大事なのでしょう。いくつになっても学びたい気持ちがあれば遅いという事はなく、その時から始めれば良いのです。それでは解説に入らせて頂きます。
六十の手習いの意味とは
「六十の手習い」の意味は以下の通りとなります。
(1)60歳から習字を始める事で、転じて、高齢になってから物事を始めたり習う喩え。
(2)学問を習うのに年齢は関係なく、何歳からでも稽古を始めるのに遅いという事はない。
(3)”六十”の代わりに”七十”や”八十”を使った「○○の手習い」になる場合もあり同義。
”六十”は「60歳」「高齢の喩え」、”手習い”は「文字を習う」「習字」「学問」となり、高齢になってから何かを始めたり習う事の素晴らしさとする喩えが「六十の手習い」です。まるで昨今の高齢化社会を予言するような諺でもあり、いくつになっても学ぶ事は大切で年齢制限はまったくないと説いています。因みに高齢者の学びについての言葉なので、”二十”や”三十”に”四十”など高齢世代以外で使うのは誤りとなります。
六十の手習いの由来
「六十の手習い」の由来は残念ながら不明で、文献としては日本を代表する詩人(小説家)・島崎藤村の著書「夜明け前」(1932年〜35年)などに文言が記されています。
六十の手習いの文章・例文
例文1.父親が六十の手習いを始めると料理教室に通い始めたが、三日もしないで隣にある雀荘に入り浸るようになって呆れた。
例文2.かつては六十の手習いとして高齢者の社交ダンスが流行ったが、本当の目的は浮気であるのは周知の事実だ。
例文3.今後は六十の手習いもネットで気軽に始められるので便利になったと喜ぶべきか、直接の交流がないと寂しがるべきなのか…。
例文4.生活に余裕がある高齢者なら有り余る時間を六十の手習いで何かを始められるが、今は年金が少なくそんなお金を掛けて習い事を始められる人は少数だ。
例文5.ボケ予防にと祖父が六十の手習いで手品を始めたが最後の大技をいつも忘れてしまうので、こちらはヒヤヒヤしながら簡単なトリックをいつも大袈裟に驚き、段々とそれが役者のように上手になってしまった。
高齢者が習い事を始めるとして「六十の手習い」を使った例文です。
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六十の手習いの会話例
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お願いがあるんだけど、ギター教室に通っていいかな?
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今からギターを覚えてどうするの? プロになんて成れないのよ。
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それはそうだけど、俺が音楽を好きなの知っているだろ。お気に入りの曲を自分で弾けるようになりたいんだよ。い
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分かったわよ。六十の手習いって言うしね。大人になってからも、真剣に何かを始めるのは良い事よ。でも月謝はあなたの小遣いから出してよね。
ギター教室に通いたい夫が妻に懇願する会話です。
六十の手習いの類義語
「六十の手習い」の類義語には、「老いの学問」「七十の手習い」「八十の手習い九十の間に合う」などの言葉が挙げられます。
六十の手習いまとめ
「六十の手習い」は学問や習い事を始めるのに年齢は関係ないという諺で、高齢になってから何かを学ぶ喩えです。60歳を高齢とする声もあるでしょうが、一方でまだまだ元気でこれから学ぶのも十分可能とする声もあります。要するに当人の気持ち次第で、70歳や80歳になって習い事を始めてもまったく構わないのです。