刀狩り(かたながり)
「刀狩り」とは「豊臣秀吉やアメリカ軍などが行った僧侶や農民に国民から刀や槍や銃などの武器を没収した政策」です。戦国時代と戦後の「刀狩り」は時代背景も違いますが武器没収という点では同じで、一般人が武器を保有していると反乱分子になった時に厄介な存在になります。それを防ぐ目的から時の政府や権力側が抑え込もうと「刀狩り」を行使するのです。
刀狩りの意味とは
「刀狩り」の意味は以下の通りとなります。
(1)武士以外に武器は不必要と、僧侶や農民が保有する刀や槍を領主が没収する事。
(2)鎌倉時代や戦国時代などに行われた武士以外の人々から武器所有を放棄させる政策。
「刀狩り」は歴史を振り返ると大規模なものが5回行われた経緯があり、その都度で明確な理由は多少違いがあります。また、昭和になりアメリカ軍の武器没収を「刀狩り」とカウントするかも意見が分かれるので、4回と5回のどちらにするかは結論が出ていません。それを踏まえて、歴史上最初とされるのが鎌倉時代の北条泰時が高野山の僧侶から刀を没収したもので、次は戦国時代に柴田勝家が農民から武器を奪ったもの、最も有名なのは豊臣秀吉による農民らから刀や鉄砲や槍を奪い所有を禁じた事で、そして江戸時代と昭和の米軍によるものが所謂一般的な「刀狩り」です。厳密にはさらに規模が小さな「刀狩り」も度々行われましたが、米軍を含めるか否かの4回ないし5回とするのが一般的になっています。どの時代にも共通しているのは「刀狩り」は政府というか権力者側が庶民から武器を取り上げ、農民らが一揆など反乱をしないよう封じ込める役目がありました。また、武器を失った農民は大人しく農業を続けるしかなく、農作物の安定供給にも繋がります。そして、昭和の「刀狩り」が銃規制や日本刀所持の罰則強化に反映されるので一概に「刀狩り」が悪いとも言い切れず、現在の一般市民が武器を持たない平和な日本社会の土台となっていきました。
刀狩りの由来
「刀狩り」を初めて行った人物は鎌倉幕府の第3代執権・北条泰時で、1228年に和歌山県の高野山の僧侶から武器である刀を奪い、その後1242年にも泰時は鎌倉の僧侶にも実行して僧侶が力を持たないように抑え付けました。
刀狩りの文章・例文
例文1.学校で教師が生徒のスマホを没収したが、その中の一人が「刀狩りだ」と声を上げたので、ちょっとした騒動に発展した。
例文2.自由が守られるアメリカでは刀狩りとして、拳銃を奪う事は絶対に起こらない。
例文3.プーチン曰くウクライナはネオナチだから刀狩りをしている感覚で侵攻をしているようだが、国内で誰も歯止めを掛けられないのはロシアという国がそもそも崩壊している証明でもある。
例文4.戦後日本で刀狩りをしたアメリカがその後、映画「七人の侍」に影響され「スターウォーズ」を制作するのは違和感ありだが、寛大な心を持つ日本人は笑顔で許し逆にフィギュアを買いまくって後方支援までするポチぶりは流石である。
例文5.もし刀狩りが歴史上一度も行われなかったら、今頃は引きこもりの男や人生に絶望した男が実家に代々伝わる刀で無差別的な通り魔事件が全国各地で多発していただろう。
やや捻くれた「刀狩り」についての例文となります。
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刀狩りの会話例
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なぜ日本国民が大人しい性格なのか分かった気がするよ。
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戦争に負けたからでしょう?
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それもあるけど、刀狩りの所為だって。昔から武器の所有を放棄させられてきたから、お上に楯突くのが出来ないDNAが刷り込まれてしまったんだよ。
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声を上げ反論するより大人しくしている方が得策だものね。
「刀狩り」が与えた影響について男女が会話をしています。
刀狩りの類義語
「刀狩り」の類義語には、「廃刀令」「帯刀禁止令」「銃刀法」などの言葉が挙げられます。
刀狩りの対義語
「刀狩り」の対義語はありませんが、武器所有としては「武装権」「武器保有の権利」などの言葉が挙げられます。
刀狩りまとめ
「刀狩り」は鎌倉時代から戦後の昭和まで日本で何度も行われてきた刀や槍などの武器所持を禁止し没収する事です。当初は武士だけ刀の持つ事を許して、僧侶や農民の謀反や一揆を防ぐ目的でしたが、戦後ではアメリカが日本から刀や銃を規制・没収し反発を抑える役目もありました。