去る者は日日に疎し(さるものはひびにうとし)
「去る者は日日に疎し」とは「親しい人や亡くなった人を思う感情も時間が経過すれば薄れてしまう」という事です。学生時代の友人関係などが顕著で就職をして顔を合わさなくなると、次第に連絡なども取らなくなり最終的には疎遠になるのです。そんな人付き合いの本質を突いた言葉「去る者は日日に疎し」の解説となります。
この記事の目次
去る者は日日に疎しの意味とは
「去る者は日日に疎し」の意味は以下の通りとなります。
(1)親交深かった人も交流機会が減って時間が経てば、段々と親しみが薄れていく事。また亡くなった人も同様に段々と忘れていく事。
(2)顔を合わせなくなると親しい友人や亡くなった人への情が薄れる事から、転じて、人生とは無常で儚い。
(3)「去る者は日々に疎し」とも書く。
”去る”は「場所から離れる」「時が過ぎる」「職業を退く」「状態や関係が無くなるや消える」、”疎し”は「一つ一つ離れる」「人と人の関係に隙間がある」となり、どちらも離れるという意味合いがあります。そこから、人々の交流が疎遠になる事を説いた言葉(詩)で、どれだけ親しくても付き合いが減ればその感情は薄れていき、同様に亡くなってしまった人も段々と思い出さなくなります。要するに、人間関係とは儚くて無常なのです。よって、悪く言うなら非情・冷淡・情けがない等々ですが、良く言うなら前向き・現実的・ドライ・未来志向とも受け取れる言葉です。
去る者は日日に疎しの由来
「去る者は日日に疎し」の由来は、中国南北朝時代の皇族・蕭統による詩文集「文選」の「古詩十九首」となります。
去る者は日日に疎しの文章・例文
例文1.去る者は日日に疎しと言うけれど、俺は転校した彼女をいつまで経っても忘れられない。
例文2.去る者は日日に疎し、だから必要以上に人と親しくしないのが自分なりの人間関係を構築する術だ。
例文3.去る者は日日に疎しは地元の学生時代の仲良しグループに当て嵌まり、結局は上京したら疎遠になってしまう。
例文4.去る者は日日に疎し、それでも柴犬の動画を見る度に亡き愛犬の記憶が甦ってしまう私は一歩踏み出せない変わり者なのか。
例文5.卒業アルバムを見返すと去る者は日日に疎しという言葉を思い出し、懐かしの友人の声を聞きたくなったが電話番号すら知らないと現実に戻される。
昔の思い出として「去る者は日日に疎し」を使った例文となります。
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去る者は日日に疎しの会話例
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ところで、学生時代の友人と連絡取り合っている?
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それは当然…、と言いたいけど、実はまったくしてない。東京に来ちゃうと、地元の人とは疎遠になるよ。共通点もないし、会わないとやっぱりねえ。
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そうだよな。去る者は日日に疎しとは、実に的を得た名言だな。
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昔は結婚式があってそこで出席者に友達がいないと寂しいから、無理して付き合っていたんじゃない? でも今は結婚式を挙げない人も多いし、何よりも結婚する人も減っているから、昔の友達とは疎遠になるよ。
男女二人が今でも学生時代の友人と関係が続いているのか会話をしています。
去る者は日日に疎しの類義語
「去る者は日日に疎し」の類義語には、「間が遠なりゃ契りが薄い」「縁が遠けりゃ契りが薄い」「遠ざかるもの日々に疎し」などの言葉が挙げられます。
去る者は日日に疎しの対義語
「去る者は日日に疎し」の対義語には、「来る者は日に以て親しむ」「同じ釜の飯を食う」「竹馬の友」などの言葉が挙げられます。
去る者は日日に疎しまとめ
「去る者は日日に疎し」はどんなに親しくても遠く離れて会わなくなると、次第に親しみが薄れる事です。これは死者に対しても同様で、悲しい感情も時間が経つと薄れていきます。そこから人間の人付き合いや感情は儚い事ですが、同時に新しい人付き合いが始まるや現在の関係を大事にするとも解釈でき、悲観すべき言葉と一概には言えません。