呉牛喘月(ごぎゅうぜんげつ)
呉牛喘月とは、必要以上に怯えることです。皆さんは何か不安や疑念から物事を深く考えすぎてしまったことはありますか。取り越し苦労という言葉があるように人は時として、余計なことを考えすぎてしまうことがあります。今回は、そんなときに使うことができる呉牛喘月という言葉について意味、由来などについて見ていきたいと思います。
呉牛喘月の意味とは
呉牛喘月の意味は、必要以上に怯えることです。また、疑念や誤解から怯える必要がないことまで疑ったり、恐れたりすることを表します。
呉牛喘月の由来
呉牛喘月は、昔、呉という国がありましたが、そこに生息する牛は月を見ても暑い太陽だと思いこんでしまい、苦しむ様子に由来しているそうです。そこから転じて必要以上に怯えるという意味の言葉として呉牛喘月は使われるようになったと考えられています。
呉牛喘月の文章・例文
例文1.彼は度重なる不幸に見舞われ続けた結果、街をあるくだけでも呉牛喘月になってしまう。
例文2.この会議では、敵国の情報を聞き出すまたとないチャンスだが、同時に敵に狙われてもいるかもしれないと思い、呉牛喘月になる。
例文3.彼はいつも嘘ばかりついているので、またホントではないことを言っているのではないかと呉牛喘月になる。
例文4.この村では、不可解な失踪が次々と起こっているため、呉牛喘月になりすぐに人を疑ってしまう。
例文5.呉牛喘月となってしまった彼は、誰と話すにも相手の言葉を信じることができず、常に疑いの目を向けてしまう。
これらから呉牛喘月という言葉は、必要以上に怯えている様子や疑心暗鬼になっている様を表すのには最適です。
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呉牛喘月の会話例
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今週の試合は絶対に勝ちたいから相手チームの分析を引き続きしないとね。
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うん。でもあまり考えすぎていつものプレーが発揮できないなんて状況に陥らないようにね。呉牛喘月になってはいけないよ。僕たちだって今までたくさん練習してきたんだから。
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そうだね。それは肝に銘じておくよ。ただできる限りのことはしておきたいからね。
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それはそのとおりだね。万全の状態で試合に臨もう。
これは、試合前の選手たちが話している様子です。
呉牛喘月の類義語
呉牛喘月の類義語には、「蜀犬吠日」「吠日之怪」「懲羹吹膾」などがあります。
呉牛喘月まとめ
人は考えることができるが故に、悪い結果を想像してしまったり、良くないことが起きるのではないかと考えてしまったりとネガティブな思考を巡らせてしまうことのあります。確かに最悪の事態を予測しておくことはそれに対する対策ができるのでよいことも多いです。しかし、考え過ぎてしまうと目の前のことがおろそかになってしまったり、疲れてしまったりすると思うので呉牛喘月にならず、物事を的確に見ることが出来るといいと思います。