多岐亡羊(たきぼうよう)
「多岐亡羊」とは「選択肢が多くて迷う喩え」です。そもそもどんな決断をしても後から後悔をする事も多いので、最善の答えなどは存在していないと思えば少しは気が楽になるのでしょうが、官僚や大企業に入り天下りを目指す勝ち抜きレースのような人生設計ではそんな弱者の発想は切り捨てられるようです。では、迷っても弱音を吐かずに突き進むしかない「多岐亡羊」の解説となります。
多岐亡羊の意味とは
「多岐亡羊」の意味は以下の通りとなります。
(1)枝道が多く逃げた羊を見失う事から、転じて、どれを選択するべきか思案にあまる喩え。
(2)分かれ道が多く逃げた羊を見失う事から、学問の道は末節にとらわれず根本を追い求めないと真理に到達できず、本質を見失う。
(3)選択肢が多いとどれにするべきか迷う喩え。
(4)「岐多くして羊を亡う」(きおおくしてひつじをうしなう)とも読む。
”多岐”は「分かれ道が多い」「枝道が多い」、”亡羊”は「羊が逃げる」「羊が逃げ切る」で、そのまま訳すと「分かれ道が多く羊を見失う」となり、そこから上記のような意味合いと解釈できます。要は逃げた羊と枝道の多さから、学問もあれこれと分散すると求めるべき本質を見失うと説いています。さらに発展させて、学問以外でも選択肢や方針が多すぎると、結局はどれを選択するべきか迷うという喩えです。正に現代の「迷える羊」の古代中国版とも思えてしまう四字熟語「多岐亡羊」ですが、見事に人間の本質を突いています。選択肢とは多いほど無限の可能性があると思いますが、反対に選択肢が多くなるほど大多数は無意味な存在であり、そして単に迷うだけともなるのです。だから、親や教師や上司や占い師にネットなどの声を頼りにして、自分では決断できずに委ねるのが現代人に多い傾向だそうです。実際の使い方としては、選択肢の多さからの迷いや混乱として「多岐亡羊になる」「多岐亡羊に陥る」といった風になります。
多岐亡羊の由来
「多岐亡羊」の由来は中国戦国時代の思想家・列子の著書「列子」の説符となります。
多岐亡羊の文章・例文
例文1.人が生きていくのは、その都度で常に選択肢が出てくるのでそれが最善の決断となっているかは後から分かり、多岐亡羊と嘆く気持ちも十分理解できる。
例文2.近所のファミレスはあまりにもメニュー数が多いので、初めて訪れたお客は多岐亡羊になってしまう。
例文3.アイドルやお笑い芸人がモテ自慢や一人に絞れないで多岐亡羊とする話を面白おかしくしていると、どうせ将来は離婚をしたり慰謝料トラブルになるのだからとチャンネルを変えてしまう。
例文4.ネットの中は様々な情報で溢れ、そこから毎日いろんな情報に触れて知識が豊かになった気がするが、実はどうでもいい事だけを詰め込んで時間を無駄にして我を忘れ多岐亡羊になっていると気付きもしない。
例文5.子供の頃は将来どんな高級車を買おうかと、あれがいいこれがいいと多岐亡羊になっては幸せな妄想を膨らませていたが、大人になると走れば十分な激安軽自動車という現実がエンジン全開で突っ走ってくる。
選択肢が多くて迷うとして「多岐亡羊」を使って例文です。
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多岐亡羊の会話例
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うーん、どれにするか迷うなー。
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早くしてよ。ファーストフードでこんなに真剣に悩むなんて、あんたぐらいよ。
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仕方ないだろ、姉ちゃん。刑務…、じゃなくて、長い務めから昨日出てきたばっかりなんだから。
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数種類のハンバーガー選びで悩む多岐亡羊な性格のあんたが、まさかあんな大事を起こす人とはね…。もし再犯したら、もうハンバーガーを驕らないからね。
ファーストフード店内での姉弟と会話となります。
多岐亡羊の類義語
「多岐亡羊」の類義語には、「望羊之嘆」「亡羊の嘆」などの言葉が挙げられます。
多岐亡羊まとめ
「多岐亡羊」は枝道が多く逃げた羊を見失う事で、そこから選択肢が多いと迷ってしまう喩えとなります。就職や結婚など人生は転換期に直面すると選択肢から答えを選ばなければならず、そんな際の迷いを巧みに表す言葉です。人間とは本来は迷いの生き物なので、だからこそ決断できない現状を「多岐亡羊」として少しでも客観的に物事を見ると、決断ができるかも知れません。