山紫水明(さんしすいめい)
「山紫水明」とは「山や川など自然の美しさを称賛する言葉」です。例えば、景観が素晴らしい絶景スポットを「山紫水明の地」「山紫水明が感じられる場所」と言い換える事が出来ます。誰もが知っていたり納得の自然が感じられる場所だけでなく、当人だけの秘密の自然の地でも使えるので、世の中には「山紫水明」がいくつもある事になります。それぐらい、自然の美しさという条件は人それぞれなのでしょう。そんな「山紫水明」についての解説となります。
山紫水明の意味とは
「山紫水明」の意味は以下の通りとなります。
(1)山や川の景色はとても美しい。自然の風景は清浄で美しい。
(2)山は日の光で紫色になり川の水は澄んで清らかになる事から、自然景色を称賛する言葉。
(3)美しい風景、優れた風景、壮観な風景の事。
「山紫水明」は上記の通り、大自然を称賛する言葉です。特に美しさを感じさせる際に使われ、山や川が汚れなく凛としていると思わず息を呑むのも忘れるほどですが、そんな天然の景観に相応しい言葉です。登山をして山頂からの視界を見渡す限りの景色、話題の絶景ポイントはもちろんながら、朝焼けや夕焼け、雨上がりの綺麗な空など日常に近い自然に対して使っても問題ありません。要するに、当人がその自然の景色を美しいと感じたなら、殆どの場合で用いられます。一方でイルミネーションで用いるかは意見が割れそうですが、高級旅館などの整備されてライティングが美しい庭園を「山紫水明」と表現するなら、都会の並木道の木々イルミネーションでも使うべきと個人的に思ってしまいます。無難なら大自然だけに留めて、喩えにするなら都会などの美しい人工的なものも含ませる感じでしょうか。実際の使い方としては、「山紫水明の地」「山紫水明の庭」「山紫水明な場所」といった風になります。
山紫水明の由来
「山紫水明」の由来は、江戸時代後期の儒学者・賴山陽の旧宅・水西荘(京都市「賴山陽書斎(山紫水明処)」)です。頼山陽が執筆した「日本外史」は幕末の攘夷運動に多大な影響を与え、後に国が功績から書斎を史跡にしました。この書斎は簡素な母屋だが、壁や建具などにいくつも趣向が凝らされ、また京都の景観を楽しめた事から「山紫水明」と呼ばれるようになりました。
山紫水明の文章・例文
例文1.旅行に行くなら絶対に山紫水明を感じられる地でないと納得できない。
例文2.妻との出会いは山紫水明が導いたもので、美しい夕焼けに見惚れていたら隣に同じ事をする女性がいて、声を掛けたのが始まりだ。
例文3.スカイツリーからの眺望も、山紫水明と呼べる絶景である。
例文4.都内からも富士山が拝めるとは、身近に山紫水明が感じられるスポットがある事に感謝した。
例文5.冬山のキャンプはいつだって山紫水明を感じられるから、飛びっきりの贅沢を一人で満喫して何だか世間に申し訳ない。
絶景や自然で感じた喜びを「山紫水明」とした例文です。
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山紫水明の会話例
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来週のデートだけど、どうする?
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少し変わった事をしたいな!
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それなら、ドライブで遠出でもしようか? どこか自然が満喫できる絶景スポットでも行って、気持ちをリフレッシュしよう。
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私達は都会に疲れているから、そういうのがいいよね。美しい自然から山紫水明を感じて英気を養いましょう。
恋人同士が今度のデート内容について会話をしています。
山紫水明の類義語
「山紫水明」の類義語には、「花鳥風月」「風光明媚」「山清水秀」「水紫山明」「山明水秀」などの言葉が挙げられます。
山紫水明まとめ
「山紫水明」は美しい自然についての言葉で、陽光で山は紫に霞み水は澄み切って明るい様を表しています。元々は江戸時代の儒学者・賴山陽の京都にある風情感じられる書斎が由来とされ、そこから現在は、山や川などの景色や景観など自然が感じられる表現としてすっかり定着しています。