崇高(すうこう)
「崇高」とは「気高くて尊い事で、他にも壮大さや勇壮や脅威といった様もある言葉」です。雪山は壮大であり美しいですが、実際に登ってみると夏山よりも困難で遭難事故も大変多いですよね。危険と隣り合わせですが、それでも登る人が後を絶たないのは壮大な景色や楽しさなどに心を奪われてしまったからでしょう。そんな事故なども含めて、それでも圧倒されるスケールやオーラに特別感が「崇高」ではないでしょうか? それでは解説に入らせて頂きます。
崇高の意味とは
「崇高」の意味は以下の通りとなります。
(1)気高くて尊い。
(2)気高く尊く、驚異や畏敬や壮大などの感じを起こさせる美しさがある。
(3)元々は美的範疇で、巨大なものや勇壮なものに抱く感情の美学的概念。
(4)他に類をみない偉大さや大自然の美しさなど畏敬を抱かせるものを称えて用いる。
「崇高」はあまりにも漠然としている言葉ですが、簡単に言うなら、こちらが圧倒されたり価値観を覆されるほど特別な存在感を発揮するものを「崇高」と表現します。発祥は古代ギリシアとも近世とも言われていますが、美的範疇の概念であり、圧倒的な自然美などを「崇高な景色」といった風に使う言葉です。例えば、世界でも有名なスイスのアルプス山脈はその美しく荒々しい姿は他の山とは別格の存在感を誇り、そこから「崇高」という表現が最も相応しいと世間から広く認知されています。一方で、国内のあまり有名ではない山でも当人が別格だと思っているなら、当然ながら「崇高」と表現してもまったく問題がありません。したがって、いくら神々しい言葉でも所詮は概念であり、一人ひとりが好きなように使えるのも事実です。しかし、根底には尊さなどを感じたとして用いるべきなので、「崇高な精神」「崇高な人」「崇高な思い」「崇高な愛」といった形でも用いられます。
崇高の由来
「崇高」の由来は諸説入り乱れていますが、古代1世紀のギリシア語における修辞学用語となります。古代ローマ人であるロンギノスによる著書「崇高論」が「崇高」の概念を初めて論じたとされ、その後は美的範疇として美学概念へ進化して、気高くと尊いという表現で用いられる言葉となりました。
崇高の文章・例文
例文1.彼女は崇高な教師を目指して、休日は悪い者で溢れる外には出ないで部屋で座禅を組み聖書や聖典も読み、酒や恋愛を禁じて欲を断つ生活を続けているのに、子供達から気味悪がられてまったく人気がないのだから少し可哀想だ。
例文2.都心のビル屋上から朝焼けを眺めると崇高な気持ちが体中を包み、今日も債権者からの回収を頑張ろうと気合が入る。
例文3.巨大大仏を一目見ると、その圧倒的なスケールに誰もが崇高さを感じるだろう。
例文4.東京五輪は問題続きで改めて関係者の選出は難しいと思い知らされたが、ワイドショーで批判しているタレント達も結局は同じ穴の貉で、崇高さとはかけ離れた金と名誉しか頭にないくせに良く言うわと思う。
例文5.このところ不幸続きなので、気分を変えようと崇高なる島と評判の離島で暫く生活をしたら、綺麗な海や山に心が見せられ感激し、もう東京には戻りたくないと考えている。
壮大さや尊いとして「崇高」を使った例文です。
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崇高の会話例
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ちょっとこれ見て(スマホで写真を見せて)。どう凄いでしょう。最新PS5!
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遂に買ったんだー。崇高なオーラが半端ないね。いいなー。
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ゲーマーとしては我慢が出来なかったよ。やっぱり最新モデルは性能が凄いよ。
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そう言えば、この前は新車も買ったよね。急に買物熱が高まって、宝くじでも当選したの?
知人男女の会話内容で、念願のPS5を購入した男性が女性に自慢をしています。
崇高の類義語
「崇高」の類義語には、「神々しい」「荘厳」「偉大」「畏敬の念」「圧倒」「凄み」「畏怖」などの言葉が挙げられます。
崇高の対義語
「崇高」の対義語には、「卑俗」「低俗」「下品」「野暮」「醜い」「平凡」などの言葉が挙げられます。
崇高まとめ
「崇高」は美しくも圧巻な大自然などに感じる感情で、そこから「気高く尊い」という意味になります。古代から人類が受け継いできた美的範疇となり、現在は大自然以外にも素晴らしい芸術作品や個人の精神や理念なども「崇高」という表現がされています。