怨親平等(おんしんびょうどう)
「怨親平等」とは「敵であろうと味方であろうと、平等に見なくてはならない」という意味の四字熟語です。物事を判断する時に、偏った見方をしていたら正しい判断が出来なくなってしまいます。そういった時に利用できるのが「怨親平等」になります。元々は仏教語として生まれた言葉ですが、今では普通に生活していても聞くことが出てきた言葉だと思います。今回はそんな「怨親平等」について解説を行います。
怨親平等の意味とは
「怨親平等」とは「敵であろうと味方であろうと、平等に見なくてはならない」という意味の四字熟語です。「怨親」とは、仏教語で敵対する人と親しい人のことを指しています。「平等」とは、差別であったり偏りがない状態で、全てが等しいことを指しています。それらを合わせて敵対する人であったり、親しく味方しやすい人であったとしても、平等で見ようとする心が必要だ。という意味になります。そのため、誰かが喧嘩している時なども、どちらかに気持ちが偏らないようにするときにも使用される言葉になります。
怨親平等の由来
元々仏教語の一つとして扱われていました。敵や味方といった考えをやめて、全ての人に平等にみる。という意味で使われていました。仏教では、憎いから憎む、攻撃するという考えではなく、慈悲を持つことを大切にしています。そこからどんな人間であっても、敵であっても味方であったとしても、平等に分け隔てなく接することが重要だ。という考えで今も用いられ、現在もどんな相手だとしても平等にみる、という意味で使用されています。
怨親平等の文章・例文
例文1.人と接するうえで怨親平等な考えができる方が良いと先生が言っていた。
例文2.誰かを攻撃するのではなく、怨親平等な気持ちで接したい。
例文3.怨親平等に生きることで、心が広いと言われてしまった。
例文4.裁判をするうえで怨親平等な気持ちでいることが大切だ。
例文5.怨親平等な気持ちでいたいが、片方の意見だけを聞いているとあまりにも悲惨に思ってしまう。
様々な「怨親平等」についての例文となります。
- [adsmiddle_left]
- [adsmiddle_right]
怨親平等の会話例
-
友達同士が喧嘩してたんだよね。今から仲裁に行ってくる。
-
そういう時ってどちらかに感情移入しちゃうとだめで難しいよね。
-
うん、だけど怨親平等で行かないと正しいことが判断できないから頑張るよ。
-
殴り合いとかにならないように気を付けてね!
友達を仲裁に向かう人の会話です。
怨親平等の類義語
「怨親平等」の類義語には、「一視同仁」「兼愛無私」などの言葉が挙げられます。
怨親平等の対義語
「怨親平等」の対義語には、「えこひいき」などの言葉が挙げられます。
怨親平等まとめ
使える場面が多い言葉だと思います。善悪に限らず、どんなことでも平等に見たいということがあれば、怨親平等と心の中で呟いて、冷静でいられるように自分の中でルーティンを作ることもいいと思います。仏教語として使われていた言葉のため、自分の気持ちを落ち着かせる時などに使えると、効果があるような気がします。今回はそんな「怨親平等」について解説を行いました。