「指を銜える」の使い方や意味、例文や類義語を徹底解説!

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指を銜える(ゆびをくわえる)

「指を銜える」とは「羨ましいものや欲しいものが貰えないや手に入らず、諦めるしかない空しい状況」です。幸か不幸か人間とは欲望を叶えられる人と、叶えられず我慢をするしかない人に分けられます。常識的に手に入るものはお金で解決できるので、裕福な人ほど願望が叶い幸せともなります。では手に入らない人は不幸なのかというと、これは意見が分かれるでしょうが、将来成功をする人はそんな環境が成長してくれたと語れるものです。でも、成功ができないとなると生涯「指を銜える」しかありません。悲しいですがこれが現実なのです。それでは「指を銜える」の解説となります。

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指を銜えるの意味とは

「指を銜える」の意味は以下の通りとなります。
(1)羨ましがりながら手を出せない。
(2)きまりが悪い。恥ずかしそう。
(3)願いが叶わず空しく眺める事しかできない喩え。
(4)「指を咥える」とも書き同義。
”指”は「手足の末端の5本に枝分かれした部分」、”銜える”は「口に軽く挟んで支える」「引き連れる」で、基本的には人差し指を口に軽く入れるのが「指を銜える」です。これは羨ましいや恥ずかしい際に思わず子供がやってしまう行為で、躾もあり大人になると自然とやらなくなります。しかし、その自然的な欲求の表れとして大人でも喩えとして使われる表現となっています。使い方としては「指を銜えて見る」「指を咥えて眺める」「指を銜えて諦める」「指を銜えて待つ」といった形が多く、これらは羨ましいや恥ずかしいという意味もありますが「何もできずに状況を成行に任せる」といったニュアンスもあります。要するに手出しができず、自分では何もできないので、その状況を見守るしかないのです。よって、「指を銜える」だけなら上記の通り羨ましい・恥ずかしい等ですが、「指を銜える」の後に「諦める」や「待つ」などがあると、何もできない空しさがより強くなります。

指を銜えるの由来

「指を銜える」の由来は残念ながら不明ですが、文献としては江戸時代に作られたイエズス会宣教師によるポルトガル語辞典「日葡辞書」(1603年〜04年)などに文言が記されています。

指を銜えるの文章・例文

例文1.週末にライブで東京に出掛ける予定だったが、大型台風が直撃する予報が出ていて一体どうなるか分からないが無力な自分は黙って指を銜えて待つしかない。
例文2.大金を稼いでいるスポーツ選手や芸能人にユーチューバ—達を応援できる庶民感情はまったく理解できず、そのまま指を銜えて彼等を投影するだけで本当に良いのかと疑問を問い掛けたい。
例文3.子供の頃は欲しい物だらけだったが、親に言っても買って貰えず指を銜えるだけで、大人になったらきっと願いが叶うと信じていたが、結局は諦めて我慢する環境を受け入れて眠るしかないと結論が出た。
例文4.よっぽど物欲しそうに指を銜える顔で街を歩いていたのか、近所のよく知らないおっさんがある日食べ物を持ってきてくれて、折角だからとそれを食べたら腹を壊して入院してしまった。
例文5.野良犬のような人生だと自嘲気味に笑い、このまま指を銜えて待つだけでは癪なので、最後に何をやろうかと考え公園でも掃除しようとゴミを拾っていたら憩いに来ていた市民が警察に通報をしたのか、やって来た警官から職務質問をされた。
日常生活における「指を銜える」状況についての例文となります。

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指を銜えるの会話例

  • コロナも終息しつつあるし、パーッとどこかに出掛けようか?

  • 何バカな事を言っているの。うちにそんな余裕はないでしょう。

  • だから近場だよ。近場! ちょっとした小旅行というか。

  • それでも贅沢よ。私達コロナで生活苦になった者はね、旅行を楽しんでいる幸せそうな人達をニュースで眺めながら指を銜えて…、天地創造の神よ、幸多き民に不幸が襲い掛かれと願う事しかないの。

旅行に行ける人達を妬む会話となっています。

指を銜えるの類義語

「指を銜える」の類義語には、「黙視」「対岸の火事」「諦め」「傍観」「羨望」などの言葉が挙げられます。

指を銜えるの対義語

「指を銜える」の対義語には、「嫉妬」「妬む」「介入」「粘る」などの言葉が挙げられます。

指を銜えるまとめ

「指を銜える」は欲しいものがあるのに手に入らない状況であり、空しく眺めるしかできない事です。そんな我慢している様をまるで子供のように指を口に入れているとして「指を銜える」と喩えています。さらに「指を銜えて待つ」「指を銜えて眺める」などは、何もできず歯痒さから見守るだけというニュアンスに受け取れます。

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