桃栗三年柿八年(ももくりさんねんかきはちねん)
何事も、物事を成すのにはそれ相応の時間がかかるものです。仕事などにおいても、努力したとしても一人前になるまでにはある程度の時間がかかります。このように「物事にはある程度の時間がかかること」や「それを急いてはいけない」ということの戒めとして使われることわざに「桃栗三年柿八年」というものがあります。ではどんな意味や由来があるのか、例文なども併せて解説していきます。また、このことわざの「続き」も併せて紹介していきます。
桃栗三年柿八年の意味とは
「桃栗三年柿八年」は、物事というのは一朝一夕に出来るものではないし、それ相応に時間のかかるものだ、という教えを比喩的に言い表したことわざです。ある説では「勤勉に働けば三年で一人前、少し努力したら八年で一人前、普通にしてたら九年で一人前、努力しなければ十八年かかっても一人前にはなれない」という意味もあると言われています。
桃栗三年柿八年の由来
この言葉は江戸時代に作られたとされる「尾張(大阪)いろはかるた」の中で「も」のことわざとして登場しています。桃と栗は芽をだしてから三年で実がなり、柿は芽を出してから八年で実がなることから、植えてから実がなり収穫するまでには時間がかかるということを表していて、転じて「結果を急ぐ事を戒める」ことのたとえとして使われるようになりました。ちなみにこのことわざで使われている収穫までの期間は、適当なものではなく実際の年数だそうです。
桃栗三年柿八年の文章・例文
例文1.桃栗三年柿八年というし、成果を上げることを急ぐよりも地道に努力を重ねるほうが大切だと思う
例文2.なかなか仕事が覚えられずに1人で悩んでいたが、先輩から桃栗三年柿八年だと言われた
例文3.桃栗三年柿八年であり、何事も一朝一夕では出来ないものだ
例文4.桃栗三年柿八年というように、人は時間をかけて成長していくものである
例文5.必死で頑張っていたが一人前に仕事ができるようになったのは入社3年目以降であり、桃栗三年柿八年というのは本当だと実感した
どんな物ごとでも結果を出すのにはそれなりに時間を要するものだという意味があり、これは社会生活や日常生活における大切な教えと言えるでしょう。
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桃栗三年柿八年の会話例
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部署が異動になったけど、なかなか新しい業務が覚えられなくて少し焦っているんだ。
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そっか、でもよく思い出してみて。入社してから以前の部署で仕事を覚えるまでにも最初はなかなか覚えられなかったかもしれないけど、3年経った頃には1人前に出来るようになってたじゃない。
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そう言えばそうだったな。一から身につけるにはそれなりに時間がかかるものなんだね。
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桃栗三年柿八年っていうしね、焦らないで地道に努していればそのうち覚えられるよ。
なかなか成果が出ず悩んでいる人への助言として、このことわざを使っている会話です。このように同じような経験があっても忘れてしまうこともあるので、ときどき「桃栗三年柿八年」を思い出すと良いのかも知れません。
桃栗三年柿八年の類義語
このことわざには続きがあり、それは地域などによって様々に異なるのですが、それぞれがこのことわざの類義語と言えます。たとえば「桃栗三年柿八年」の後には「柚子は大馬鹿十八年」「梅は酸い酸い十三年」「梨の馬鹿目が十八年」「林檎にこにこ二十五年」などが続きます。他にもみかんや銀杏が使われているものもあるそうです。
桃栗三年柿八年まとめ
いかがでしたか。主に「物事には時間がかかるものであり、それを急ぐのは良くない」という戒めの意味で使われますが、古くからある有名なことわざです。これには沢山のパターンの続きがあり、様々な場面で使い回す事ができそうですので、ぜひ覚えて活用してみてください。