浅瀬に仇波(あさせにあだなみ)
公共の場でも煩い人っていますよね。また、大人数になると力を得たかのように周囲にお構いなしで騒ぐ人も未だに多いです。これらは迷惑という点で一緒ですが、他にも状況を理解できないや自己中心的といった共通点があります。そんな様を言い表す言葉である「浅瀬に仇波」について、解説をさせて頂きます。
浅瀬に仇波の意味とは
「浅瀬に仇波」の意味は以下の通りとなります。
(1)浅はかな者ほど騒ぎ立てる。思慮の深くない者ほど大騒ぎをする。
(2)考えの浅い者はつまらない事でもお喋りで騒ぐ。
(3)「浅瀬に徒浪」「浅瀬に仇浪」等とも書き同義となる。
古今和歌集に掲載された歌「底ひなき淵やは騒ぐ山川の浅き瀬にこそあだ波は立て」から誕生した諺が「浅瀬に仇波」で、”浅瀬”は「川の浅いところ」、”仇波”は無駄な波から「軽薄」となり、川の浅いところでも騒ぎ立てるといった意味となります。要するに、上記のような浅はかな者や大騒ぎをするような人達の喩えです。川の深いところは波が立たないが、浅いところは波が立ち騒ぐ事が転じたとされています。よって、現代なら単に煩い人や煩わしい人、退屈な事でも大騒ぎしたり、お喋りが煩い人なども「浅瀬に仇波」と喩えられます。
浅瀬に仇波の由来
「浅瀬に仇波」の由来は、平安時代前期の勅撰和歌集「古今和歌集」の「恋四」の「底ひなき淵やは騒ぐ山川の浅き瀬にこそあだ波は立て」となります。
浅瀬に仇波の文章・例文
例文1.担任教師が教室を離れると、浅瀬に仇波とばかりに途端に数人が騒ぎ出すので少々辟易とする。
例文2.渋谷のハロウィンで常識外に騒ぐ若者は、浅瀬に仇波どころではなくあまりにも無知で恥を知らない。
例文3.東京近郊の有名な河川敷には、浅瀬に仇波な輩が大挙して押し寄せバーベキューを行い、そのまま片付けもせずゴミを捨てて帰るそうだ。
例文4.ファミレスや回転寿司にも浅瀬に仇波な家族が多く、周囲に迷惑を掛けているとは1ミリも感じてないので、その無神経さが癪である。
例文5.浅瀬に仇波と思われたくないので、職場や近所では周囲に細心の注意を払っている。
「浅瀬に仇波」を迷惑な人々に使った例文となります。
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浅瀬に仇波の会話例
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今日は子供を連れて、公園に行かなかったんだ?
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そうなの。最近、ガラの悪い中高生が占拠するようになって、怖くなっていかなくなったの!
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そうだったんだ。昔から公園に集まる不良は多かったけど、昼間からいるのは迷惑だな。
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大人しく端にいる分にはいいけど、煩く騒いでまるで浅瀬に仇波といった感じなの。暫くは家の中で遊ばせるわ。
子供を公園に遊びに連れていかなくなったので、夫が妻に訊いてみた会話です。
浅瀬に仇波の類義語
「浅瀬に仇波」の類義語には、「空き樽は音が高い」「能無し犬の高吠え」「弱い者の空威張り」などの言葉が挙げられます。
浅瀬に仇波まとめ
「浅瀬に仇波」とは、浅はかな人が大騒ぎをする様子であり、そんな人達の喩えとなります。思慮深い人は川の浅瀬で騒ぐ事はないが、浅はかな人は川の浅瀬で波が出たぐらいでも大騒ぎをするものです。そこから転じて、煩い人や大騒ぎをする人、お喋りが煩いといった意味で使われます。