無知の知(むちのち)
「知ったかぶり」という、この言葉と対極に位置する言葉があります。本当に演じなければいけないような状況でもないかぎり、知らないものは知らないと言うべきであることは、いつの時代も変わらないものですよね。
無知の知とは、そんな無知を自覚するということの大切さを教えてくれるような言葉となっています。
今回はそんな「無知の知」という言葉について、深く掘り下げていきたいと思います。
無知の知の意味とは
「無知の知」とは、何かの物事に対して、それがどういう物事なのか知らない時、その「それを知らないということを、自分は知っている。」その自覚状況や思考を表すことによって、本当に何も知らない人や、なんでも知っていると「見せかけようとする」人よりも、その人は大きく秀でていることを指し示したような意味を持つ言葉です。
無知の知の由来
「無知の知」の由来。まだ周りにあるものが今ほど発達していなかった時代、「母なる海」といった言葉が存在しているのと同じように、この世に存在するものすべての原点は何か?ということについて論じられる一幕があり、それに対して幾人かの哲学者が水である、火であると自身の考えを述べる中、「自分は知らない」と「知らないことを自覚している」という新しい考え方を提示した哲学者がいた出来事が、この言葉が生まれるきっかけになったと考えられています。
無知の知の文章・例文
例文1.彼は本当に知ったかぶりだが、「無知の知」という言葉は知っているのだろうか。
例文2.私の彼が無知の知という意識を持っていなかったために大きなミスをした。
例文3.無知の知。できると思ったことで大事故を起こしてしまった。
例文4.あのわからず屋に無知の知という言葉を教えてやってくれ。
例文5.無知の知という心構えを常に持っていた彼は東大に合格した。
無知の知という言葉を日常会話の中に取り入れるとした場合は「知らない、できないことを自覚」といった形で扱うものになります。
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無知の知の会話例
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この間、部長が車で事故を起こしてしまったそうなんです。
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ええ!なんでそんなことに?
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進んで大丈夫な道かどうか、まだ判別できていなかった道を無理やり進んだ結果そうなったみたいです。
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無知の知って言葉が身に沁みる一件ですね。
無知の知という言葉は、まだ確信が持てていないにも関わらず、それを行なった結果何か過ちを犯してしまった場合の教訓として用いられる機会が多い言葉と言えるかもしれませんね。
無知の知の類義語
無知の知の類義語としては、「浅学非才(せんがくひさい)」や「見性自覚(けんしょうじかく)」などの言葉が挙げられます。
無知の知まとめ
無知の知という言葉において、特に最近はこの「自覚する」という部分に対する意識が足りないせいで痛ましい事件が発生したといったニュースをよく見かけるものですよね。
「知らない、できない」ということ自体は決して恥じるようなことでもなければ、隠す必要があるようなものではありません。むしろ知らない、できないことを自覚しない、いや自覚しようせず、自分勝手に行動を起こしてしまうことほど恐ろしいことはないと言えるのではないでしょうか。