「禍福は糾える縄の如し」の使い方や意味、例文や類義語を徹底解説!

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禍福は糾える縄の如し(かふくはあざなえるなわのごとし)

「禍福は糾える縄の如し」とは「幸福と不幸は縄のように表裏一体で、一時的な出来事に一喜一憂しない」という教えです。若い時はどうしても感情豊かであり、また先を見通せないので、一時的な不幸が延々と続きもう人生お終いだと思ってしまうのです。しかし、冷静になれば幸福も不幸も実は裏表のように密接関係で誰しも平等のように訪れては去っていくのです。そんな「禍福は糾える縄の如し」の解説となります。

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禍福は糾える縄の如しの意味とは

「禍福は糾える縄の如し」の意味は以下の通りとなります。
(1)幸福と不幸は縄のように表裏を成しているので交互にやってくる。
(2)災いと幸福は縒り合せた縄のように表裏一体なので、一喜一憂する必要はない喩え。
(3)「禍福はあざなえる縄の如し」「禍福は糾える縄のごとし」等とも書き同義。
”禍”は「災い」「不幸せ」、”福”は「幸い」「幸せ」で合わせた”禍福”は「災難と幸福」「不運と幸運」、”糾える縄”は「交互に絡まる縄」「絡まるように交え合う縄」、”如し”は「〜と同じ」「〜のようだ」「〜のとおり」で、幸福と不幸を縄に例えて交互にやってくるのが「禍福は糾える縄の如し」です。また、だから幸福や不幸がやって来るのは当然の事として、一喜一憂せずに平常心でいるべきともなります。このような幸福や不幸、或いは今回のように交互にやって来るという言葉は大変多く、四字熟語なら「幸災楽禍」「福善禍淫」、諺なら「大吉は凶に還る」「禍を転じて福と為す」「沈む瀬あれば浮かぶ瀬あり」などがあります。

禍福は糾える縄の如しの由来

「禍福は糾える縄の如し」の由来は、中国前漢時代の司馬遷による歴史書「史記」の南越伝となります。

禍福は糾える縄の如しの文章・例文

例文1.自分の冴えない人生を呪っていたが、図書館で出会った本に禍福は糾える縄の如しと書かれていて安心し、悩んでいた連鎖取引販売で頑張ってもっと大勢を勧誘しようと思い直した。
例文2.友人の結婚式でお祝いのスピーチに、禍福は糾える縄の如しを使ったものを考えていたが、妻から縁起が良くないからと止めるように言われ、無難に「笑う門には福来たる」や「容姿端麗」を使って上手くまとめた。
例文3.自営業で苦労した父は子供達に禍福は糾える縄の如しと教え、父としては跡を継いでもらう気持ちから発していたのだが、見事に全員が自営業の辛い点を不幸と解釈しサラリーマンとなってしまい、その後は廃業をした。
例文4.結婚願望は人一倍だが、お見舞いでも連敗続きで無縁の同僚には、禍福は糾える縄の如しという言葉は絶対に届かない。
例文5.経済的な裕福さなら年々右肩下がりな日本では禍福は糾える縄の如しと言っても信ぴょう性がなく不幸ばかりと思え、それよりもユーチューバーや投資家で成功すれば短期間で莫大な大金を掴める社会へとなっている。
幸運と不運が交互にやって来るとして「禍福は糾える縄の如し」を使った例文です。

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禍福は糾える縄の如しの会話例

  • 昨日は最悪な一日だったよなー。

  • 本当よね。お昼頃にあなたの弟さんから電話が来て、新車が盗まれたって聞いて、本当、大丈夫って心配していたら、その後で今度は私達が買物に向かう途中で交通事故に巻き込まれる…。

  • 一家揃って、車の不幸を全て貰った気がするよ。神様も酷い事をするもんだよ。

  • でも、禍福は糾える縄の如しって言うじゃない。今度は車でもきっと良い事が起こるから気にしない気にしない。

夫婦は交通事故に遭い、夫の弟は車を盗まれると不運が続いたという内容です。

禍福は糾える縄の如しの類義語

「禍福は糾える縄の如し」の類義語には、「沈む瀬あれば浮かぶ瀬あり」「一寸先は闇」「人生何があるか分からない」「吉凶はあざなえる縄のごとし」などの言葉が挙げられます。

禍福は糾える縄の如しの対義語

「禍福は糾える縄の如し」の対義語には、「明日ありと思う心の仇桜」「朝に紅顔ありて夕べに白骨となる」「諸行無常」「順風満帆」などの言葉が挙げられます。

禍福は糾える縄の如しまとめ

「禍福は糾える縄の如し」はこの世の幸不幸は縄のように表裏一体で、良い事が起これば悪い事も起こり、反対に悪い事が起これば良い事が起こるという人生の教訓のような諺です。また、そこから幸不幸は隣合わせなので、その度に一喜一憂しないという教えにもなっています。

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