経世会(けいせいかい)
経世会は、竹下登・金丸信を中心として旧田中派から分裂した派閥の事を指しています。経世会が絶大な力を誇った時代もあり、まさに派閥政治の中心であり、象徴として現在も一定以上の年代の方には非常に印象に残っているのではないでしょうか。そんな栄華の時代に「竹下派七奉行」なる言葉も生まれました。今回は「経世会」の成り立ちや意味についても、説明をしていきます。
経世会の意味とは
経世会の意味とは、竹下登を派閥領袖とする竹下派の呼び方であり自民党で一時代を築いた派閥です。経世会は竹下登(竹下派)→小渕恵三(小渕派)→橋本龍太郎→(橋本派)→津島雄二(津島派)→額賀福志郎(額賀派)→竹下亘(竹下亘派)と変遷をたどってきています。
竹下登・小渕恵三・橋本龍太郎は内閣総理大臣になったものの、それ以降は傑出した政治家がおらず、派閥の勢いや力もなくなってきているのが現状です。
経世会の由来
経世会の由来は、田中派の分裂による竹下派の立ち上げによるもので、名前は民生や経済を意味して、中国の古典にある「経世済民」から取られていると言われており、元々は自民党の経脈としては、スタートは吉田茂から派生しています。
経世会の文章・例文
例文1.経世会は自民党の中で巨大派閥として、時代に名を遺した。
例文2.経世会は時代と共に力を失い、現在は党内の主流とは言えない。
例文3.経世会の初代のトップの竹下登は日本に消費税を導入した当時の内閣総理大臣だ。
例文4.田中角栄と竹下登の対立は根強く、経世会結成以前は社会を巻き込んだ論争が起こった。
例文5.経世会は現在は平成研究会と名前を改称している。
あまりの党内派閥・党内政治に国民から批判が集まり、派閥の解消を1994年に発表して、平成政治研究会を政策集団として発足させたものの、実態は経世会であることは周知の事実であり、その対応についてもまた批判が集まったものです。
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経世会の会話例
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竹下登と金丸信というキングメーカー2人が実質日本を牛耳っていた時代もあったんだよね。
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私は竹下登は消費税を導入した、金丸信は東京佐川急便事件しかイメージないんですよね。
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一般的にはそうかもしれないけど、1980年代から1990年初頭にかけての経世会の栄華はすごかったよ。
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いわゆるキャスティングボードを握っているのは、経世会だったというわけですね。
日本の経済が伸びている時期はいい意味でも悪い意味でも個性的でアクの強い政治家が多かったですね。
経世会の類義語
経世会の類義語としては「宏池会」「清和会」「春秋会」「十日会」などが自民党の派閥としては有名です。また経世会に関する言葉としては「竹下派七奉行」や「キングメーカー」「キャスティングボード」もあわせておくといいかもしれません。
経世会まとめ
日本が成長を続けている時代には、権力闘争がこの派閥の戦いにも象徴されるように起こるのでしょう。しかし日本全体が成長が止まり、時代の目印がなくなっている今はそういた権力闘争ではなく、我が生き残るに必死になってしまい、政治に熱がなくなってくるのも感じているのはないでしょうか。経世会は良い意味でも悪い意味でも日本の政治に大きな足跡を残した派閥であり、一つの教養として覚えておくといいかもしれません。