「義を見て為ざるは勇無きなり」の使い方や意味、例文や類義語を徹底解説!

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義を見て為ざるは勇無きなり(ぎをみてせざるはゆうなきなり)

人間意外とやらなければならないことを見て見ぬふりして、できないことを先送りにしがちです。そして本当はだめだとわかっていても放っておいたりすることがあります。そんな戒めの言葉として「義を見て為ざるは勇無きなり」という論語の言葉について意味や由来を解説をしていきます。

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義を見て為ざるは勇無きなりの意味とは

義を見て為ざるは勇無きなりの意味は、人としてやらなければいけないこと、やるべきことをわかったり、理解しているにもかかわらず、それを実行しないのは勇気がないと言う意味です。
ここでいう義と言うのは儒教の五常(義・仁・礼・智・信)の一つであり、筋道の通った正しい行いのことを指しています。本来やるべき事は人の道として、やるべきであると説いています。

義を見てせざるは勇無きなりの由来

義を見てせざるは勇無きなりの由来は、孔子の論語に書かれていた言葉となります。
漢文表記
「子曰、非其而祭之、諂也、見義不爲、無勇也」
書き下し文
「子曰わく、其のに非ずしてこれを祭るは、諂いなり、義を見て為ざるは勇なきなり」
現代訳
「祭る理由のない神を祭るのは諂っているだけで意味がない。勇気をもって自分がすべき事を成すべきだ」

義を見て為ざるは勇無きなりの文章・例文

例文1.義を見て為ざるは勇無きなりの意味を理解し、行動に移す
例文2.孔子の教えは素晴らしいもので義を見て為ざるは勇無きなりもその一つだ
例文3.困っている人を助けるのを躊躇しては、義を見て為ざるは勇無きなりだ
例文4.義を見て為ざるは勇無きなりの教えを心に留めておく
例文5.義を見て為ざるは勇無きなりを、座右の銘として研鑽を積む
人間どうしてもめんどくさいことや嫌なことを苦労することがわかっている事は避けがちです。しかし孔子は論語の中でそういった時にこそ人間がすべき事をしなくてはならないのだと言っています。
学生や社会人、大人になってからも論語はいつでも人生の大きな気づきをくれる有益なものであり、また読むタイミグによって感じ方も変わってくるのです。

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義を見て為ざるは勇無きなりの会話例

  • (あの人、なんだか調子が悪そうだ…)

  • もう無理…ばたっ

  • (倒れた!!ええい、「義を見て為ざるは勇無きなり」て言うしな。)
    大丈夫ですか?

  • すみません。無理です…

「義を見て為ざるは勇無きなり」という言葉の通り、見て見ぬふりをせずに助けることが大切だと思います。

義を見て為ざるは勇無きなりの類義語

義を見て為ざるは勇無きなりの類義語は「正義感」「道義心」があげられます。また孔子の論語で有名な言葉で言えば、「温故知新」や「知らざるを知らずと為す、是知るなり」「過ちては則ち改むるに憚ることなかれ」などもあります。

義を見て為ざるは勇無きなりまとめ

漢文というと、苦手意識があると読むのをあきらめてしまいそうですが、実は一定のルールに基づいて読めばそれほど難しくはありません。論語に出てくる言葉の多くは孔子という賢人が一生涯の学びから得たものです。そういった言葉を知り、生活の中で気持ちを改める事も時には大事かもしれませんね。

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