「耳を信じて目を疑う」の使い方や意味、例文や類義語を徹底解説!

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耳を信じて目を疑う(みみをしんじてめをうたがう)

「耳を信じて目を疑う」とは「人の意見は信じるが目で見たものは信じず、また遠くのものは素晴らしいが近くにあるものは軽んずる」となります。自分に自信がなかったり、或いは相手に憧れたりするとその人の言う事は信じてしまう事が多々あります。それは自分で見たにも関わらず、それよりも相手の言葉を信じるのです。逆に言うなら、自分の欠点は目がいき気付くのですが、相手の場合は美点にばかりとらわれ欠点は気付き難いのです。そんな騙されやすい人の本質を突いた諺「耳を信じて目を疑う」の解説となります。

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耳を信じて目を疑うの意味とは

「耳を信じて目を疑う」の意味は以下の通りとなります。
(1)人の意見を信じて、自分の目で見たものは信じない。
(2)遠くのものを有り難がり、近くを軽んじる。
(3)「耳を貴び目を賤しむ」「貴耳賤目」も同義。
「耳を信じて目を疑う」は、人の意見を信用して自分の見たものは信じないという事です。要するに自分には自信がなく相手の声を聞き入れるので、己の能力不足を認めているからこその言葉とも受け取れます。また、自分の目で見えるものは信じないとも解釈可能なので、そこから、(見えない)遠くのものを信じて有り難がり、近くのものは(見えるので)軽んじるともなります。この流れから、昔を有り難がり現在を軽んじる事でもあります。これと反対の意味となるのが有名な諺「百聞は一見にしかず」ですが、つまりこの二つはペアでありどちらも人間の本質を突いているのです。噂話は容易に信じたり、逆に人の話よりも自分の目で見た方が価値があるという相反する言葉なのです。

耳を信じて目を疑うの由来

「耳を信じて目を疑う」の由来は中国晋時代の道教研究家・葛洪の著書「抱朴子」となります。また、そもそもは後漢時代の詩人・張衡による「耳を貴び目を賤しむ」が発祥で、それが「耳を信じて目を疑う」に変化したと言われています。

耳を信じて目を疑うの文章・例文

例文1.近所に住む有名大学の教授よりもテレビのお笑い芸人の言葉に耳を傾けるのは、耳を信じて目を疑うの典型的なものだ。
例文2.耳を信じて目を疑う性格なので、職場では自分の意見がないと叱責ばかりを受ける。
例文3.政権の戯言を有り難く信じる保守派が強い地方の高齢者は、耳を信じて目を疑うとして生きてきてしまったのだろう。
例文4.耳を信じて目を疑うばかりの私は、近くの牛丼チェーン店よりも遠くの牛丼屋が美味しいと感じる味オンチだ。
例文5.外国旅行を称賛し人生観が変わると言い放ち、地元の田舎は退屈と否定するのも、実は何も分かっていない耳を信じて目を疑うケースではないのか。
人の意見を信じたり遠くを肯定するとして「耳を信じて目を疑う」を使った例文です。

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耳を信じて目を疑うの会話例

  • 君は俺の意見はまったく信じないのに、隣の奥さんやネットにテレビの事は何でも信用するよな。

  • そういうあなただって、私が早く帰ってきてと言っても、会社を理由にして残業ばかりじゃない。

  • それとこれとは、まったく違うだろ。俺は会社で働いているんだから、上司に言われた事を守るしかないだろ。

  • 一緒よ。私達は耳を信じて目を疑うという性格の似た者同士なのよ。

互いに不満がある夫婦の喧嘩内容です。

耳を信じて目を疑うの類義語

「耳を信じて目を疑う」の類義語には、「耳を貴び目を賤しむ」「見ぬうちが花」などの言葉が挙げられます。

耳を信じて目を疑うの対義語

「耳を信じて目を疑う」の対義語には、「百聞は一見に如かず」「千聞は一見に如かず」「遠くなれば薄くなる」「独立独歩」などの言葉が挙げられます。

耳を信じて目を疑うまとめ

「耳を信じて目を疑う」は人の言葉を信じて、自分が見た事は信じないという意味です。また、遠くのものを有り難がり近くのものを軽んじる喩えともなります。要するに身近なものは信じるに値せず、人が言う事や遠くのものは良いものと想像力が働いてしまうのです。拡大解釈をするなら「隣の芝生は青く見える」に近いのが「耳を信じて目を疑う」なのです。

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