牛に引かれて善光寺参り(うしにひかれてぜんこうじまいり)
牛に引かれて善光寺参りとは、思ってもいなかったことにより、良い方に導かれることです。ふとした意外なことが、良いことに繋がったり、人生の岐路になるような大切な出来事になったりということがあります。人生は何が起きるかわからないというように転機が突然訪れて幸運に恵まれることもあるのです。今回は、そんなときに使える牛に引かれて善光寺参りについて説明していきたいと思います。
この記事の目次
牛に引かれて善光寺参りの意味とは
牛に引かれて善光寺参りの意味とは、思ってもいなかったことにより、良い方に導かれることです。ふとしたことが良い結果に繋がった、そんな状況で使うことができます。是非覚えておくといいと思います。また善光寺は長野にある国宝指定をされているお寺であり、「一生に一度は善光寺参り」と江戸時代から言われている程の由緒と歴史を兼ね備えています。今でも年間で平均600万人程度が訪れており、江戸時代から善光寺は一生に一度行くと極楽浄土が叶うとされ、現在でいうパワースポットの様な位置づけであったのかもしれませんね。
牛に引かれて善光寺参りの由来
牛に引かれて善光寺参りの由来は、信仰のない老婆が牛を追いかけて善光寺にたどり着き、その後厚い信仰をしたということに由来しています。このことから思わぬことから良い方に導かれるという意味の言葉として使われるようになったと考えられています。
牛に引かれて善光寺参りの文章・例文
例文1.牛に引かれて善光寺参りというように、この前友人と始めたボルダリングがきっかけで運命の相手と出会うとは思いもしなかった。
例文2.あの時、友人に誘われてこの学校に入学していなければ、今の起業は成功しなかっただろう。まさに、牛に引かれて善光寺参りである。
例文3.牛に引かれて善光寺参りというように、親の勧めでサッカーを始めなかったら僕はいまプロサッカー選手として活躍はしていなかっただろう。
例文4.知人に誘われて、音楽のライブに行ったのがきっかけでアーティストとして活動し始めました。最近は、人気アーティストと言われますが、あの頃の知人がいなければ私はこの場に立っていません。これは、牛に引かれて善光寺参りです。
例文5.牛に引かれて善光寺参りというけれど思わぬことが良いことが訪れるといった経験をしたことがない。
これらから牛に引かれて善光寺参りという言葉は、トリガーがあって良い結果が訪れる様子を表すときに使うことができます。
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牛に引かれて善光寺参りの会話例
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あの時、君が僕のことを導いてくれなければ今の僕はここにはいないよ。
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牛に引かれて善光寺参りなんてことはないよ。君は実力があるから機会を作らなかったとしても、遅かれ早かれこの場に立っていたと思うよ。
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そうかな。そう言ってくれると嬉しいよ。これかも他の人に負けないよう精進していくつもりだよ。
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そうだね。お互いに努力していけるといいね。
これは、二人の現状について話している様子です。
牛に引かれて善光寺参りの類義語
牛に引かれて善光寺参りの類義語には、「風が吹けば桶屋が儲かる」「棚からぼた餅」「薮から棒を出す」「灰吹きから蛇が出る」などがあります。
牛に引かれて善光寺参りまとめ
何気ないことが、いい方向に向かうことは生きていれば経験したことがある人もいると思います。ですが、自分の目標であったり、夢であったりと具体的なことを実現するには、日々の努力が必要です。チャンスを掴むには、チャンスをものできる場所にいる必要があるということを念頭において精進出来るといいと思います。