対牛弾琴(たいぎゅうだんきん)
対牛弾琴とは、なんの効果もなく無駄なことです。何かを物事に対して取り組んでいても何も結果も得ることができなければ、何の成長もすることができなければ虚しいと思います。それは、目標や夢があったら尚更です。今回は、そんなときに使うことができる対牛弾琴について意味、使い方、類義語などをおっていきます。
対牛弾琴の意味とは
対牛弾琴の意味は、なんの効果もなく無駄なことです。また、愚かなものには、どんな立派な考え方や教えを説いても無駄であるといった意味ももちます。単に志が低く、愚かなものに対して教えを説くことも表します。
対牛弾琴の由来
対牛弾琴の由来は、牛に対して琴を弾いて聞かせても無意味であることにあります。そこから転じて物事全般において無意味なことや愚かなものに対して教えを説いても無駄であることを示す言葉として使われるようになったと考えられています。
対牛弾琴の文章・例文
例文1.彼にどんなことに言っても考え方をちっとも変えようとしないなんて対牛弾琴である。
例文2.対牛弾琴というように、芸術について何もわからない素人がこの素晴らしい作品を理解することは到底かなわないだろう。
例文3.この音楽アーティストの曲の良さがわからないなんて彼女は、対牛弾琴である。
例文4.ここまで頑張って集めたデータがすべて消えてしまい、振り出しに戻ってしまった。まさに対牛弾琴である。
例文5.こんな理解力にかけている人たちに崇高な教えを説いたって対牛弾琴だろう。
これらから対牛弾琴という言葉は、無意味なことを表すことができます。
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対牛弾琴の会話例
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彼また忘れ物をしてしまったらしいんだよ。これで今月に入ってから10回目だよ。全く困ったものだよ。
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本当だわ。いつもあれだけ忘れ物をするなって注意されてるにも関わらず忘れてくるんだもの。
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まさに対牛弾琴とは、このことだね。周りもみんな呆れてしまっているよ。
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今はまだ周りに迷惑がかかっていないからいいけど今後彼は、周囲の人に迷惑をかけると思うと周りの人が可愛そうだわ。
これは、忘れ物をいつもしてしまう人について話しています。
対牛弾琴の類義語
対牛弾琴の類義語には、「対驢撫琴」「馬耳東風」「牛に対して琴を弾ず」などがあります。
対牛弾琴まとめ
どれだけ相手に思いや考えを伝えようとしていたとしても相手がそれを端から聞く気がなかったり、理解できなかったりすれば意味がないです。だからこそ、今日では教育というものが存在して、誰でも最低限のことは理解できるよう教えられるのだと思います。また、対牛弾琴と思われることのないよう、話すときには相手の言いたいことを汲み取れるといいと思います。