堂々巡り(どうどうめぐり)
「堂々巡り」とは「同じ行動や会話、或いは思考が何度も繰り返されてぐるぐる巡り、先には進まない状態」です。ある問題が起こり解決策を模索するとして、普通はある程度で行動に移るものですが、その議論や思考だけで行動に移らないものを「堂々巡り」と言います。或いは行動に移しても延々と失敗ばかりで、一歩も解決に向かっていない状況の事でもあります。よって基本的にはネガティブな表現となり、どこか重々しくて苦悩が感じられる「堂々巡り」の解説となります。
堂々巡りの意味とは
「堂々巡り」の意味は以下の通りとなります。
(1)同じような事が何度も繰り返され、まったく進行しない。
(2)議論や思考が進まず同じところで巡っている。
(3)祈願の為に仏堂の周りをぐるぐる回る事。
(4)「堂堂巡り」「堂堂回り」「堂堂巡」「堂堂回」とも書き同義。
「堂々巡り」は物事が決まらず、尚且つ先に進まない状態の事です。”堂々”は「威厳のある様」「隠し立てがない」、”巡り”は「順に回る」「あちこちを回る」「周囲」となり、仏教の神社や御殿などの立派な建物を”堂々”としてその周囲を回るだけで先に進んでいないので「堂々巡り」となります。例えば、会議で意見がまったく出ないで時間を無駄に過ごしている、同じ悩みを何年間も持ち続けモヤモヤしている、成功できず失敗を繰り返すなどで「堂々巡り」となります。また口喧嘩や最近流行りのツイッターのレスバ(レスバトル)も「堂々巡り」に陥る傾向があります。なぜなら、判定や決断を下す者が存在しない場合や当人達に強い意志がないと、どうしても同じ事を繰り返してしまうのです。その方が責任を取らなくて良いので楽であり、だから時間の無駄と分かっていても「生産性のない会議や会話」を続けるのです。そんな様を「堂々巡り」として、結論の先延ばし、進捗無し、或いは悩みや苦しみでもまったく糸口が見つからない時も用いられる表現となります。
堂々巡りの由来
「堂々巡り」の由来は、僧侶が祈願でお堂の周りを回るようになったのが始まりです。文献としては、俳諧撰集「崑山集」(1651年)などに文言が記されています。
堂々巡りの文章・例文
例文1.妻との離婚は親権の決め方で堂々巡りが続き、結局は離婚調停で決着を着ける。
例文2.好きな人が出来ると恋心から成就するか否かで脳内が堂々巡りとなるが、そんなモヤモヤで傍から見るとキモい時間が実は幸せであったりする。
例文3.禁煙と禁酒を実行するか否かは常に堂々巡りで、最終的には気晴らしにとギャンブルをするのだが、勝つと祝い酒となり負ければイライラで酒量も増えてタバコも吸うのだから、博打を止めないかぎりは決着しないと悟った。
例文4.斜陽産業に務めて早3年。入社してすぐにこれはマズいぞと辞める決心をしたが、また新しい仕事を探すのは面倒と言い訳をしている内に年々給料は下がり続け、一体どうするべきなのかと頭の中で堂々巡りをしてはこれまでの人生と不景気な時代を呪い悲観して、一日がまた終わる。
例文5.悩み事を抱えて堂々巡りばかりなので、偶にはストレス発散と車を走らせドライブしたら交通事故で車を壊し、また一つ鬱になる問題を抱えてしまった。
悩みや問題事で「堂々巡り」を使った例文です。
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堂々巡りの会話例
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仕事を続けるべきか…、それとも思い切って転職をするべきか…。答えが出ない。鬱だ…。
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もう、いつまで堂々巡りを繰り返すの。こっちが精神的に参るわよ。
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俺だって、本音では今過ぐに辞めたいよ。でも他の仕事も簡単に見つからないし。何よりも俺が辞めたら生活はどうする? 職場の皆も迷惑するし。だから堂々巡りなんだよ。分かるだろ?
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分からないわよ。大体あなたが辞めても誰も困らないでしょう。体調不良ですぐに休んでばかりいるんだから。
仕事を辞めたいが現状から辞められないでいる夫に対して、妻の不満が爆発するというやり取りです。
堂々巡りの類義語
「堂々巡り」の類義語には、「躊躇」「気迷い」「狼狽」「膠着」「停滞」などの言葉が挙げられます。
堂々巡りの対義語
「堂々巡り」の対義語には、「問題解決」「折り合いが付く」「けりが付く」「決着」「推進」などの言葉が挙げられます。
堂々巡りまとめ
「堂々巡り」はお堂の周りをくるくる回るだけで祈祷がまったく先に進まない事から、議論や思考などが同じ事を繰り返し巡っているだけです。よっていつまで経っても解決をしないで先延ばしや現状維持で留まってしまいます。そんな成長や前進は皆無で、気持ちまでも憂鬱になりそうな状況を「堂々巡り」と表現します。