吉田十三人衆(よしだじゅうさんにんしゅう)
「吉田十三人衆」とは「戦後の混乱期にその名を轟かせた吉田茂総理を崇拝する13人の側近」です。吉田茂という政治家の先見の明を象徴するのが「吉田十三人衆」であり「吉田学校」で、自らをトップにして同じ考え方で従う仲間を取り組むのは、現在の派閥や長老支配や院政を近代日本に導入した最初の政治家と言っても過言ではありません。それでは吉田茂を支える仲間とは一体どんな大物達だったのか解説をさせて頂きます。
吉田十三人衆の意味とは
「吉田十三人衆」の意味は以下の通りとなります。
(1)内閣総理大臣・吉田茂の有力な側近13人の事。
(2)吉田茂の総理時代や退陣し政界引退後も側近となり、政界で強い影響力を誇った益谷秀次・林譲治などメンバー13人からなるグループの呼び名。
「吉田十三人衆」は「吉田茂と13人の仲間達」といった意味合いで、そのメンバー13人は益谷秀次・林譲治・周東英雄・小金義照・池田勇人・佐藤栄作・保利茂・大橋武夫・橋本龍伍・愛知揆一・福永健司・小坂善太郎・田中角栄となります。いずれも大物ばかりで、特に池田勇人・佐藤栄作・田中角栄は後に総理大臣になるので如何に吉田茂の人望や影響力が強かったのか窺い知れます。吉田茂自身もこれまで2回総理を務め上げ、政界引退後も自宅には様々な政治家がやってきては助言や指導をされていたそうです。その中でも「吉田十三人衆」は特別な存在であり、同じく吉田茂による国会議員グループの「吉田学校」でも生徒であった池田勇人・佐藤栄作・田中角栄は完全なる吉田思想に染まり、政党内を圧倒的な保守によるワンマン体制で掌握し、現在の自民党に根付く保守体制や保守政権の礎を築く事に成功しました。因みに「吉田十三人衆」の大半は官僚出身だですが、その遺伝子を受け継ぐ最後の大物・田中角栄は中卒(又は小学校卒業)で、総理大臣まで上り詰めたのは吉田茂の教えが大きく影響を与えたのは間違いありません。従って、吉田茂という巨大なカリスマに最後まで魅せられ、日本という国を独自の理論で経済的にも欧米諸国と渡り合えるように団結したのが「吉田十三人衆」と呼ばれるメンバーだったのです。
吉田十三人衆の由来
「吉田十三人衆」の由来や発祥時期などは不明ですが、1949年の第24回衆議院選挙で後の「吉田十三人衆」となる池田勇人・橋本龍伍・大橋武夫・佐藤栄作らが初当選し、1955年に自由民主党が結党され誕生し、その翌年に吉田茂の側近が集まり「丙申会」という政治グループが作られ、57年になってから自由民主党に入党します。このような流れを踏まえて、後付けで「吉田十三人衆」や「吉田学校」という言葉が誕生したと思われます。
吉田十三人衆の文章・例文
例文1.亡き祖父の口癖は「俺も吉田十三人衆に成れる逸材だった…」だが、そんな戯言を子供や孫全員が眉唾でまったく信用していない。
例文2.吉田十三人衆が戦後の日本を復興させたと言っても過言ではない。
例文3.現在の自民党の中でも偏った保守派は、吉田十三人衆による教えをさらに都合良く解釈して政策に取り入れているのだろう。
例文4.吉田十三人衆の最後が田中角栄というのも、なかなか考えさせられるし皮肉な結末とも思えてしまう。
例文5.吉田茂は逮捕されてもなお影響力があり、首相に返り咲くのだから、そんなカリスマめいた所以も吉田十三人衆を結束させたのだろう。
当時の政治について「吉田十三人衆」を使った例文となります。
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吉田十三人衆の会話例
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アマゾンで何を買おうとしているの?
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衆院選が近いでしょう。そしたら過去の政治家に興味が出てきて、まずは吉田茂に関する本を探しているの。
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それなら吉田学校や吉田十三人衆の本がおすすめだよ。
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そんなに面白い? じゃあ騙されたと思って買ってみるわ。
政治に興味がある知人女性に男性が吉田茂の本をおすすめするという会話です。
吉田十三人衆の類義語
「吉田十三人衆」の類義語には、「吉田学校」「周山会」「保守本流」「自由党」などの言葉が挙げられます。
吉田十三人衆の対義語
「吉田十三人衆」の対義語はありませんが、吉田茂は保守本流を掲げていたので”保守”の対義語は「革新」「改革」「改変」「改新」などの言葉が挙げられます。
吉田十三人衆まとめ
「吉田十三人衆」は戦前戦後の混乱期に最も影響力を誇った政治家であり、総理大臣の吉田茂を崇める有力な側近13人です。メンバーは同じく吉田茂の影響力を示す政治グループ「吉田学校」とも重複しますが、池田勇人・佐藤栄作・田中角栄など錚々たる顔ぶれで、彼等は吉田茂が政界引退をした後も自宅に頻繁に通っては会合を開きアドバイスを頂いていました。