瞬間的生滅(しゅんかんてきしょうめつ)
「瞬間的生滅」とは「短時間で生まれては消えてしまう仏教の教え」です。仏教は概念的な側面も大きく、とても抽象的であり如何様にも解釈可能なので素人には大変難しいですが、大勢の心に安らぎを与えているのは間違いありません。「瞬間的生滅」も一見するとまるで「一瞬で消え失せる」という印象を抱きますが、大事なポイントは同時に「再び生まれる」のです。要は「誕生」と「消失」がセットで、どちらかが欠けるのは有り得ないのです。それでは仏教の奥深さを知る入門のような「瞬間的生滅」の解説となります。
瞬間的生滅の意味とは
「瞬間的生滅」の意味は以下の通りとなります。
(1)極めて短時間で消えて無くなり、また生ずること。
(2)仏教哲学における時間の最小単位「刹那」毎に生ずる事と消えてしまう事を繰り返す事。
(3)本来は仏教の瞑想を解説する際に用いる言葉で、この世に存在するあらゆる物は一瞬で消えては生ずるので、そこから、全てをあるがままに受け入れる概念として使われる言葉。
(4)仏教の教え「刹那生滅」と同義。
「瞬間的生滅」の”瞬間(的)”は仏教哲学における時間の最小単位である「刹那」とされ、たった1度指を弾く間に60〜65の「刹那」があり、また「六十五刹那」を「一弾指」(いちだんし)とも言います。そこから「刹那」は「極めて短い時間」「瞬間」といった意味で現在も使われ、「瞬間的生滅」は「刹那で生滅する」と解釈できます。厳密には上記の通り瞬間で消えてしまうのが「瞬間的生滅」ですが、仏教の教えでは究極的にはあらゆる物は生滅を繰り返すので、それを突き詰めると「刹那」(瞬間)で生まれては死んで(消えて)いるのです。よって、「瞬間的生滅」は仏教の最重要テーマであり究極の三大思想「諸行無常」「諸法無我」「涅槃寂静」と基本的な考えはまったく同じで、使い方も当然ながら同じようになります。もちろん仏門を叩き本格的に追求すれば諸々の違いもあるでしょうが、少なくても一般人が感銘を受けた仏教の教えを大事にして日常生活で言葉として用いる分には支障はありません。
瞬間的生滅の由来
「瞬間的生滅」の由来を「刹那」とするなら、「刹那」はサンスクリット語「クシャナ」の音訳で元々は古代インドで用いられていました。
瞬間的生滅の文章・例文
例文1.毎日毎日ニュース番組を観ているだけでも良いニュースがあれば悪いニュースもあると分かり、それだけでこの世は瞬間的生滅を繰り返していると真理が垣間見れる。
例文2.お盆になり墓参りをすると、ここで眠る先祖は瞬間的生滅をしているだけで、その心はいつまでも残っていると思う。
例文3.仏教の教えとして瞬間的生滅を受け入れれば、人々はもっとストレスから解放され暮らしやすくなるはずだ。
例文4.愛犬を撫でていると、この広い世界が瞬間的生滅だとしても少なくても愛犬が居る限り落ち着いていられる。
例文5.あるがままを受け入れて人生とは諸行無常や瞬間的生滅だと分かれば、誰かと比べて気落ちしたり優越感に浸るなどもなく、淡々と自分らしくリラックスできる。
仏教の教えとして「瞬間的生滅」を使った例文です。
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瞬間的生滅の会話例
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少しは部屋を整理した方がいいんじゃない? 無駄な物が多すぎるよ。
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分かっているけど、なかなか捨てられないのよ。
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その気持ちも分かるけど、大事な物だけ取っておいて、後はリサイクルショップで売るとか捨てるとかしないと。
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そうね。一度物を買うと愛着があってどうしても惜しいけど、仏教では瞬間的生滅とも言うしね…。全ては変わるんだから、処分するのも良い事よね。
不要な荷物が多い妻に対して夫が整理するように促しています。
瞬間的生滅の類義語
「瞬間的生滅」の類義語には、「諸行無常」「万物流転」「生滅滅已」などの言葉が挙げられます。
瞬間的生滅の対義語
「瞬間的生滅」の対義語には、「万古不易」「永久不滅」などの言葉が挙げられます。
瞬間的生滅まとめ
「瞬間的生滅」は仏教と密接な言葉で、短時間で消えて無くなる事です。同じく仏教用語である「刹那」と関連させて使われる事も多く「刹那生滅」が「瞬間的生滅」ともなります。要するに、「刹那」という短い時間に生まれと死ぬことを繰り返し、それは仏教の根源である「諸行無常」とも通じるものがあります。