魚の目に水見えず人の目に空見えず(うおのめにみずみえずひとのめにそらみえず)
「魚の目に水見えず人の目に空見えず」とは「水や空気は身近過ぎて有難味を意識しなくなる事から、どんなに大切でも身近にあると大事にせず失ってから気が付く喩え」です。有名な諺とは言えませんがなかなか感慨深いものがあり、家族や友人などの大切さを再確認させてくれます。それでは解説に入らせて頂きます。
この記事の目次
魚の目に水見えず人の目に空見えずの意味とは
「魚の目に水見えず人の目に空見えず」の意味は以下の通りとなります。
(1)水中に棲む魚には水が見えなくて、空気中で生活を送る人間には空気が見えない事から、転じて、身近に有り過ぎると目に入らず有難味を感じないとする諺。
(2)どんなに大切なものでも、身近にあると感謝や有難味の心は薄れてしまうという喩え。
(3)「魚の目に水見えず」だけでも同義。
「魚の目に水見えず人の目に空見えず」は簡単に言えば、どんなに大切なものでも身近にあると有難味が薄れていくという事です。それだけ慣れや習慣というものは人の心を鈍感にして、無くなった時に初めて気が付くのです。それがこの諺では魚は「水」、人間は「空気」として、双方にとってどちらも生きていく上で欠かせられない絶対に必要不可欠な存在でありながらも、普段はまったく意識をしませんし、忘れた扱いになっています。そんな事から、身近にあるものの有難味が分からない喩えとして「魚の目に水見えず人の目に空見えず」が使われます。
魚の目に水見えず人の目に空見えずの由来
「魚の目に水見えず人の目に空見えず」の由来は残念ながら不明です。余談として、足裏などの皮膚病である”魚の目”は「鶏眼」(けいがん)とも言い、元々はドイツで呼ばれていた「Hühnerauge」を直訳した言葉とされています。江戸時代あたりから”魚の目”と呼ばれ始めたので、「魚の目に水見えず人の目に空見えず」もそれ以降に誕生した日本発祥の諺ともされますが、詳細は分かっていません。
魚の目に水見えず人の目に空見えずの文章・例文
例文1.魚の目に水見えず人の目に空見えず、今日は妻や子供に日頃の感謝としてケーキを買って帰ろうと思う。
例文2.魚の目に水見えず人の目に空見えずと言うが、無くなって悔やんでから得られる経験もあるので、多いに大切なものを失い失敗しろと助言したい。
例文3.ロシアのプーチンに対して偉そうに上から目線で、魚の目に水見えず人の目に空見えずと助言したら、それこそ末代まで銃殺刑にされるだろう。
例文4.政府は選挙目的で高齢者優遇の政策を取るが、何れは自分達の孫から「魚の目に水見えず人の目に空見えず」と皮肉を言われる覚悟をするべきだ。
例文5.魚の目に水見えず人の目に空見えず、だから我は何も考えずに無駄に生き続け後で延々と後悔をする。
「魚の目に水見えず人の目に空見えず」を使った例文となります。
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魚の目に水見えず人の目に空見えずの会話例
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ゴールデンウィークは予定どうする?
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久しぶりに実家に帰るって言ってなかった?
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まあ、そうなんだけど、これだけ近いと逆に帰るのが面倒なんだよね。
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そう言わずに偶には帰って顔を見せてあげようよ。あなた、魚の目に水見えず人の目に空見えずになっているんじゃない。親孝行したい時に親はなしよ。
実家の両親と疎遠気味の夫婦の会話となります。
魚の目に水見えず人の目に空見えずの類義語
「魚の目に水見えず人の目に空見えず」の類義語には、「灯台下暗し」「傍目八目」「他人の正目」「自分のまつ毛は見えない」などの言葉が挙げられます。
魚の目に水見えず人の目に空見えずの対義語
「魚の目に水見えず人の目に空見えず」の対義語には、「鹿を逐う者は山を見ず」「木を見て森を見ず」「小鳥を捕らえて大鳥を逃がす」「木を数えて林を忘れる」などの言葉が挙げられます。
魚の目に水見えず人の目に空見えずまとめ
「魚の目に水見えず人の目に空見えず」は水中で暮らす魚は「水」、地上で暮らす人間は「空気」を見えないとして、身近に有り過ぎると大切なものを意識しなくなり有難味を忘れる喩えです。どんなに大切・大事なものでも存在が近過ぎると気付かないので、両親や家族などの有難味を再確認する際に使われたりする諺です。