毒を食らわば皿まで(どくをくらわばさらまで)
「毒を食らわば皿まで」とは「毒入り料理を食べ始めたら途中で止めても死という結果が同じなので、悪事に手を出したら最後まで徹するべき」という喩えです。これは何も悪人になれという煽っている訳ではなく、喩えとして悪事に手を出したら途中で止めても同じだから悪に徹しろと言う事です。どっちつかずで状況に応じて態度をコロコロ変えるのが一番悪いので、それなら悪の道でも突き進む方が良いのでしょう。
この記事の目次
毒を食らわば皿までの意味とは
「毒を食らわば皿まで」の意味は以下の通りとなります。
(1)一度罪を犯すなど悪事をしたなら、後戻りは出来ないので悪に徹するしかない喩え。
(2)毒入り料理を食べてしまい最後は死ぬなら皿まで舐めてしまえとして、禁忌を破ったのなら以降は良識などを気にせず悪を最後まで徹底するべきという比喩表現。
「毒を食らわば皿まで」は上記のような意味で、簡単に言えば「悪事を働けば躊躇せず悪に徹しろ」という事です。一度の罪も数十回の罪も犯した事に違いはなく、罪を犯せば後戻りは不可能なのです。だからなのか、現実社会でも一度タガが外れると一気に悪い方へ転がり出す場合が多々あります。本来は途中で気が付き軌道修正をかけるべきなのですが、人の心は弱いので一度の過ちでももうお終いと思ってしまうのです。要するにそれぐらい”毒”とは強烈であり、人々の心に強烈なインパクトを与えます。そんな背景もあって誕生した諺が「毒を食らわば皿まで」なのでしょう。一方で、最近はマイルドな使われ方も多くなっていて、例えば小遣いを一気に使うや食べ始めたお菓子を止められず一袋完食するなどの自分を誤魔化す際にも「毒を食らわば皿まで」と、まるで気合入れや正当化する言い訳としても用いられます。また、何事も中途半端が一番良くないので、悪事と喩えた上での「一度決めた事を最後までやり続けるべき」と解釈も可能です。
毒を食らわば皿までの由来
「毒を食らわば皿まで」の由来は残念ながら不明ですが、文献としては小説家・丹羽文雄の著書「菩提樹」(1955年)などに文言が記されています。
毒を食らわば皿までの文章・例文
例文1.YouTuberが過激動画を投稿するのは毒を食らわば皿までの精神で、簡単に大金を得る方法を知ると恥や外聞もなくやり続けて儲け続けようとする姑息さが垣間見れて吐き気がする。
例文2.カルト教団の存在はもちろん悪だが、それよりも安全地帯から利用する政治家に群がるコメンテーターや擁護するお笑い芸人の構図が実に憎たらしく、全員が毒を食らわば皿までの血の結束で結ばれていると思えてならない。
例文3.ロシアのやり方は毒を食らわば皿までで、一度戦争を始めたのだから後は屁理屈を並べては核をちらつかせる無法国家だ。
例文4.田舎が祭り上げるその土地出身の戦国武将もただの刀を振りかざす大量殺人鬼で、敵を一人殺したら後は毒を食らわば皿までと割り切って何人も切りまくった恐ろしい男だ。
例文5.財務省は伏魔殿なのか忖度を隠す事は毒を食らわば皿までと、全職員が一致団結して平気で隠し通すチームワークを発揮するが、その割には詰めが甘くズボラな部分が垣間見れる。
「毒を食らわば皿まで」を使った例文となります。
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毒を食らわば皿までの会話例
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そういえば、犯罪映画が好きなんだよね。でも本当は恋愛物が好きなんじゃないの?
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恋愛もいいけど、普通の人が犯罪や事件に巻き込まれて、抜け出せずに最後は大事件に発展する王道物が好きなの。何て言うの、毒を食らわば皿までって感じがある映画って夢中にならない?
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確かに一度悪事に染まった者が転落していくのは訴えてくる何かがあるよね。
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破滅願望なのか憧れなのか知らないけど、自分が成れないから余計に興味があるのよね。
犯罪映画について男女が語り合っています。
毒を食らわば皿までの類義語
「毒を食らわば皿まで」の類義語には、「毒を舐めれば皿まで」「毒を食わば皿を舐れ」「濡れぬ先こそ露をも厭え」「人を殺さば血を見るべし」などの言葉が挙げられます。
毒を食らわば皿までの対義語
「毒を食らわば皿まで」の対義語は厳密にはありませんが、強いて挙げるなら「鬼も角折る」「悪に強ければ善にも強し」などは反対の意味が込められています。
毒を食らわば皿までまとめ
「毒を食らわば皿まで」は一度でも悪事を働けば悪人なので、最後まで悪に徹するべきという教えのような諺です。毒を食べてしまうと苦痛から死が待っているので、それなら皿まで舐めて悪事を突き進むという物事を徹底する際の極論めいた考えでもあります。