ケセラセラ(Que Sera Sera)
「ケセラセラ」とは「なるようになる、成り行きに任せてといった意味合いのスペイン語で、1950年代の大ヒット映画の主題歌として世界中でブームになった流行語」です。人生とは成功したいや金持ちになりたいなど夢見がちですが、「少し力を抜いて気楽に行こう」と当時は斬新なメッセージとなったのが「ケセラセラ」です。だから世界中の人々から受け入れられ大ヒットを記録し、現在にも影響力を誇っているのです。
ケセラセラの意味とは
「ケセラセラ」の意味は以下の通りとなります。
(1)スペイン語「Lo que será, será」からなる言葉で、「なるようになる」「成り行きに任せる」と解釈されるが本来の意味は「人生は自分が切り開く」「人生は自分次第」とされる。
(2)1956年のアメリカ映画「知りすぎていた男」の主題歌タイトルで、映画と主題歌が世界的に大ヒットした事から当時の日本でも流行語のようになり現在でも影響力を残している。
「ケセラセラ」は本来は「人生は自分が切り開く」といった力強くポジティブな意味合いとなる言葉ですが、それが変化して現在は人生や悩み事などに対して「気楽にいこう」「なんとかなる」「大丈夫」といった気楽で力を抜かせる効果がある言葉として浸透しています。そもそも「ケセラセラ」はスペイン語が発祥とされるが当時はこのような使い方はされておらず、アメリカ映画「知りすぎていた男」の主題歌の英語タイトル「Whatever Will Be, Will Be」(又は「Whatever Will Be」)に合わせてスペイン語圏の人々にもアピールを狙い歌詞の中に「Que Sera, Sera」と入れて、女優兼歌手のドリス・デイさんが作品の中で巧みに歌い上げた事で「ケセラセラ」が特別な言葉として世界中から受け入れられたのです。よって、正確に「ケセラセラ」を理解しているのは作詞家・レイ・エバンズさんだけですが、「Whatever Will Be, Will Be」が「なるようになる」「人生気楽に行こう」的な意味なのでそこから「ケセラセラ」も同義扱いとするのが一般的です。曲では「Que sera, sera Whatever will be, will be」と歌われる事からも「人生は自分が切り開く、(でも)人生は成り行きに任せて気楽で(大丈夫)」といった風に拡大解釈するとしっくりくるのですが、多くの場合で「Que sera, sera」の部分は「ケセラセラ」と日本語訳せずに雰囲気で何となく理解させている事から、「なるようになる」として定着しました。因みに「ケセラセラ」があまりにも有名になった事を受けて、その後はスペインでも日常的な会話などで使われる言葉になったとされています。
ケセラセラの由来
「ケセラセラ」はヒッチコック監督による1956年のアメリカ映画「知りすぎていた男」の主題歌タイトルで、映画と曲が世界中でヒットした事から日本でも1956年から57年にかけて「ケセラセラ」が流行語になり大勢が日常的に使っていました。
ケセラセラの文章・例文
例文1.辛い時はケセラセラを思い出して少しばかり適当に生きてみても良いと思う。
例文2.学生時代はケセラセラだったが、社会に出たらハードワークの毎日で心底疲れて仕方がない。
例文3.将来は無人島で釣り三昧のケセラセラな毎日が過ごせたら、もう満足で思い残す事はない。
例文4.友人から「お前はお気楽なケセラセラ野郎!」と言われたので頭にきて、「しっかり者なのに嫁に浮気されるお前よりはマシだ」と言い返したら大喧嘩に発展した。
例文5.スライ&ザ・ファミリーストーンが歌い上げるケセラセラも名曲で胸にくるものがある。
「ケセラセラ」を使った例文となります。
- [adsmiddle_left]
- [adsmiddle_right]
ケセラセラの会話例
-
頭も痛いし腰も痛いし、何より心が痛い…。
-
またズル休みしたいの? そんなに休んでばかりいたら、工場をクビになるよ。
-
大丈夫だよ、ケセラセラだから。何とかなるって…。
-
いつも何を根拠にケセラセラと言うのか分からないけど…、私も仕事サボる事に決めた。
仕事嫌いで怠け癖がある恋人同士の会話となります。
ケセラセラの類義語
「ケセラセラ」の類義語には、「運任せ」「楽天的」「楽観的」「レットイットビー」「イージーゴーイング」「怠け者」などの言葉が挙げられます。
ケセラセラの対義語
「ケセラセラ」の対義語には、「どうにもならない」「逃げ場がない」「抗えない」「お手上げ」「打つ手なし」「気苦労」「厭世」などの言葉が挙げられます。
ケセラセラまとめ
「ケセラセラ」は人生を気楽に生きるとして、「なるようになるさ」「成り行きに任せる」といった意味です。1950年代の大ヒットしたアメリカ映画「知りすぎていた男」の主題歌が「ケセラセラ」で、その明るく陽気なメロディもあって人生は気楽に生きても良いとポジティブなメッセージとして広く世界中に受け入れられました。