煩悩の犬は追えども去らず(ぼんのうのいぬはおえどもさらず)
「煩悩の犬は追えども去らず」とは「愛犬が飼い主に懐くように、煩悩もいくら追い払っても付き纏い離れる事がないとする喩え」です。苛酷な修行を積んだ僧ですら煩悩を払拭できないのですから、我々凡人が煩悩を払えないと落ち込む必要はないのです。上手に付き合い、時には煩悩に溺れながらも大事な芯となる部分さえ持ち合わせてればいいのでしょう。
この記事の目次
煩悩の犬は追えども去らずの意味とは
「煩悩の犬は追えども去らず」の意味は以下の通りとなります。
(1)心を悩ます煩悩はいくら追い払っても後から湧いて来て、まるで人に付き纏う飼犬のように心から決して離れない事。
(2)煩悩は絶対に離れない喩え。
(3)略した「煩悩の犬」も同義。
”煩悩”は「心と身を悩ます働き」「心身を悩ます精神作用の総称」「(仏教用語で)心の迷い」で、人を悩ます欲望や苦しみなどの感情はいつまでも付き纏う飼犬のように決して離してくれないのが「煩悩の犬は追えども去らず」です。この諺はいくつかの解釈が可能で、人とはどんなに偉くなっても煩悩を振り払う事はできないとするだけでなく、煩悩は愛犬のように纏わり付くので上手に付き合うべきとも理解できます。よって、煩悩に心を悩ますのは人として自然の事で、追い払ってもやってくるなら向き合って生きていくだけなのでしょう。
煩悩の犬は追えども去らずの由来
「煩悩の犬は追えども去らず」の由来は江戸時代に始まった伝統芸能「歌舞伎」の「千歳曾我源氏礎」となります。
煩悩の犬は追えども去らずの文章・例文
例文1.煩悩の犬は追えども去らず、人生の半ばだが未だに中学生の様な欲求が離れないがそれでも犯罪をしない良心は持ち合わせている。
例文2.もう競馬もパチンコもしないと誓ったのに、週末になるとコンビニATMに朝一で走りキャッシングをしてしまう欲望の塊だが、煩悩の犬は追えども去らずというのだからどうか神様は許してくれるはずだ。
例文3.全てを手に入れたアラブの石油王にも煩悩の犬は追えども去らずの心境に達するのかインタビューをしてみたい。
例文4.欲望が常に頭の中にあるのは、煩悩の犬は追えども去らずからすると自然な事らしい。
例文5.増税有りきしか頭にない政府や官僚には煩悩の犬は追えども去らずではないが、どんなに庶民の苦しみを訴えても彼らの願望は税収を増やし自らの手柄にして出世しか考えられないので無意味なようだ。
「煩悩の犬は追えども去らず」を使った例文となります。
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煩悩の犬は追えども去らずの会話例
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しまったー。もうボーナス残高がゼロだよ。
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えっ本当? 振り込まれてまだ1週間ぐらいじゃない。全部使い切ったの?
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マジのマジ。もう1円も残っていない。パソコン買ったり、車の頭金にしたり、後は豪華なご飯を食べて酒を飲んだら、気が付いたらゼロよ。あははは、笑える。
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相変わらず後先を考えていないわね。でも、煩悩の犬は追えども去らずって言うし、お金を使える時に我慢しないで欲望のまま使うのもいいかもね。
欲望のままにボーナスを全額使い切ったという内容です。
煩悩の犬は追えども去らずの類義語
「煩悩の犬は追えども去らず」の類義語には「煩悩の犬は打てども去らず」「煩悩は家の犬打てども門を去らぬ」「煩悩は首に乗る」「煩悩の垢」などの言葉が挙げられます。
煩悩の犬は追えども去らずの対義語
「煩悩の犬は追えども去らず」の対義語はありません。補足として「煩悩」の対義語は「無欲」「無我」「菩提」「精神集中」「純粋」などの言葉が挙げられます。
煩悩の犬は追えども去らずまとめ
煩悩は決して追い払う事が出来ないという意味の諺が「煩悩の犬は追えども去らず」です。それだけ人とは完璧な存在ではなく、煩悩を一時振り払っても結局は飼犬のように自然とまとわりつくと説いています。