学徒出陣(がくとしゅつじん)
「学徒出陣」とは「第二次世界大戦末期の軍国主義な日本が学生の徴兵猶予を廃止した制度で、戦況悪化地域の兵力を増やす為に学生を入隊させ戦地に送った事」です。戦争とはこれまでの常識も覆るので、大学生などには学業を優先させる為に徴兵が免除されていたのですが、戦況が悪くなり兵士不足を解消させる為に強引に卒業扱いにして兵士として戦地へ送ったのです。
学徒出陣の意味とは
「学徒出陣」の意味は以下の通りとなります。
(1)第二次世界大戦末期の兵力不足を補う為に取られた制度で、学生などを兵士として戦争に強制参加させる事。
(2)太平洋戦争中はそれまで26歳までの大学生に限り徴兵が猶予されていたが兵力不足を解消する目的から停止され、20歳以上の大学生などは学業を中断し兵役に就き戦地に送られた制度。
(3)「学徒動員」も同義。
”学徒”は「学問の研究に従事する人」「研究者」「学生と生徒」、”出陣”は「戦いや試合に出る」「戦場へ向かう」で、文字通りに「学生が兵士となって戦争に参加する事」が「学徒出陣」です。これは日本で第二次世界大戦末期の1943年(昭和18年)に兵力不足を補う為に導入された強制的な制度で、26歳までの大学生などに与えられた特権である徴兵猶予を停止して20歳以上の学生は軍隊に入隊させ出征させたのです。それまで20歳以上の成人男性は徴兵制度によって軍隊に入り戦地に赴くのは義務でしたが、当時の大学生などは非常に優秀なエリートという事で卒業まで徴兵は免除されていたのですが、第二次世界大戦が続くと日本の戦況は悪くなる一方で遂には兵力が足りなくなり、20歳以上の学生・生徒も軍隊への入隊が義務化されました。彼らの多くは優秀な高学歴者なので幹部候補として戦況が特に悪い激しい前線へ送られましたが、当然ながら経験不足などもあり正確な人数は空襲で燃えて記録は残されていませんが、5〜10万人の若者が戦死したとされています。
学徒出陣の由来
「学徒出陣」は1943年9月に閣議で学生の徴兵猶予の停止が決定し、同年10月2日に「在学徴集延期臨時特例」が公布されて正式に始まり懲役検査が実施され、12月には学生が入隊していくという非常に早く進んでいきました。全国各地では出陣を喜ぶ壮行会が行われましたが、日本の敗戦によってこの制度も終わりを迎えます。
学徒出陣の文章・例文
例文1.昔の若者は学徒出陣で強制的に戦場に連れていかれたと思うと、現在は平和で幸せこの上なく多少の増税や薄給などは我慢するしかないと思える。
例文2.冷静になれば学生を徴兵する学徒出陣の時点でかなり戦況は危ないと思うものだが、当時は各地で負けていたにも関わらずラジオでは勝利したと放送され、国民は本気で信じて疑わなかったそうだ。
例文3.ロシアは正に今が学徒出陣のような状況だが、もし若者が徴兵を拒否して逃げれば政府から銃弾がこめかみにプレゼントされる。
例文4.一部保守派は歴史認識を曲げて、学徒出陣すら学生に夢を与えた綺麗な出来事と白昼夢を語りそうで怖い。
例文5.アメリカやイギリスなどは第二次世界大戦で学徒出陣などはしなかったので、それだけでも日本とは戦争に挑むスタンスが違い余裕だったのだ。
「学徒出陣」を使った例文となります。
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学徒出陣の会話例
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やっぱりゲームはFPSにかぎる。この爽快感は最高だよ。ヒヤッホー!
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大人が戦争ゲームにそんな夢中になって。
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いいんだって。たかがゲームだよ。それなら、昔は学徒出陣があって大勢の若者が命を落として悲しいってメソメソしながら、人生を生きろって言うの?
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そうじゃないけど、戦争ゲームで敵を殺して喜ぶ姿はあまり好きじゃないって事。
戦争ゲームを満喫だとする人とその姿が不快だという人の会話です。
学徒出陣の類義語
「学徒出陣」の類義語には「出陣学徒壮行会」「徴兵」「軍隊動員」「学徒勤労動員」などの言葉が挙げられます。
学徒出陣の対義語
「学徒出陣」の対義語はありません。補足として「学徒」の対義語は「先生」「社会人」「教師」「児童」、「出陣」の対義語は「帰還」「凱旋」「帰省」「帰郷」などになります。
学徒出陣まとめ
第二次世界大戦の最中、戦況が不利になった日本の苦肉の策が大学生などを戦地に送る「学徒出陣」です。本来は学生には徴兵猶予が与えられていましたが停止され、激戦区であった中国などアジア各地へ優秀な学生は幹部候補として何万人もが盛大に送られましたが、その多くは戦死して日本の負の歴史となったのです。