溥儀(ふぎ)
「溥儀」とは「中国の清時代最後の皇帝で『ラストエンペラー』と呼ばれた歴史上の偉人」です。多くの人にとっては「溥儀」よりも「ラストエンペラー」という呼び名で知られる中国の歴史上で欠かせられない偉大な皇帝で、2歳の時に皇帝へ即位してからは時代の波に翻弄されたと言っても過言ではなく、だからこそ今なお世界中の大勢の人々から英雄として崇拝の対象になっています。
溥儀の意味とは
「溥儀」の意味は以下の通りとなります。
(1)中国・清時代の皇帝(宣統帝)で、中国の歴史上初の三度に渡り皇帝に即位した最重要人物の本名「愛新覚羅溥儀」(あいしんかくらふぎ)から取られた一般的に認知されている名前。
(2)中国の清朝最後の皇帝から「ラストエンペラー」とも呼ばれ、皇帝への即位と退位を三回も繰り返した後に戦犯として逮捕されるなど激動の人生を歩んだ事から、近代中国史で最も重要な人物として伝記や関連本が多く発売され映画化もあって欧米や日本でもその名を轟かせている。
「溥儀」は中国・清時代の第12代皇帝です。この皇帝とは正しくは即位しているときに用いて、亡くなると諡号が「宣統帝」(せんとうてい)になります。ですから「溥儀」はかつて皇帝で現在は亡くなっているので「宣統帝」とするべきですが、清時代の最後の皇帝でもある事から敢えて「皇帝」と明記する事が多いです。その「溥儀」は欧米や日本では「ラストエンペラー」という愛称で知られ、1906年に2歳10か月で初めて皇帝に即位した後は清王朝の滅亡で一度目の退位となり、その後は1924年の北京政変、1931年の満州事変、1945年の第二次世界大戦によって即位と退位を三度繰り返した事で有名になります。最終的には1950年に旧ソ連から中国に身柄を引き渡されて戦犯となり、元皇帝が一人の人民という扱いを受け入れ中国社会への貢献をしてきましたが、1967年に61歳の若さで亡くなります。「溥儀」の激動の人生は中国国内だけでなく世界中で関連する書籍が発売し、1987年にはイタリアのベルナルド・ベルトルッチ監督によって映画化もされ大変な評判を呼びました。また、日本とも良好な関係を築いた人物としても知られ、日本には二度公式訪問をしています。
溥儀の由来
「溥儀」は1906年に中国・北京市で生まれ、2歳の時に清の王朝で皇帝に就きました。しかし、その後の中国は激動の時代を迎えて1911年に「辛亥革命」が起こり中華民国が宣言(誕生)され、1912年に「溥儀」が皇帝から退位した事から清朝最後の皇帝として「ラストエンペラー」と呼ばれるようになりました。
溥儀の文章・例文
例文1.古本屋で何気なく取って購入した溥儀の伝記に感銘を受け、今は日本を離れ中国で健全な人民と同じように国家に従って暮らしているが、時々冷静になると溥儀が好きなら政府に歯向かうべきなのでと頭を過るがそんな勇気はない。
例文2.中国が経済成長を遂げた根底には溥儀の経済政策が大きな影響を与えたのは間違いない。
例文3.横浜や池袋の中華街や中国人エリアで溥儀の功績を語り合えるような仲間を探したいが、恐らくは見つからないだろう。
例文4.日本のいくつもの有名漫画は基本テーマに中国の歴史を丸パクリして作品に仕立て上げ人気を獲得してきたが、そんな作品が大好きなオタク達がこぞって中国批判やパクリと大声で発狂をするのは本末転倒ではないのか。
例文5.俺の七五三の記念写真が2歳で即位したラストエンペラー・溥儀にそっくりで、未だになぜそんな写真を撮ったのか両親はまったく説明してくれない。
「溥儀」を使った例文となります。
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溥儀の会話例
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いつか中国へ旅行に行って、溥儀の記念館など聖地巡礼をしたいよね。
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本当にいつかしたいね。でも、溥儀の記念館ってあるのかな?
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それはあるでしょう。中国の歴史上で最も重要な人物の一人だよ。
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でも犯罪人よ。中国の指導体制からしたら、記念館なんかありえないんじゃない?
「溥儀」の生き方に感銘を受けた2人が中国旅行を夢見るという会話です。
溥儀の類義語
「溥儀」の類義語には他の様々な呼び名として「康徳帝」「アイシンギョロ・プーイー」「廃帝」「遜帝」「末代皇帝」「末帝」「火龍」などの言葉が挙げられます。
溥儀の対義語
「溥儀」の対義語には「皇后」「人民」「臣民」「臣下」「賎民」「下民」「奴隷」などの言葉が挙げられます。
溥儀まとめ
「ラストエンペラー」というニックネームで欧米や日本などで広く知れ渡っている清朝の最後の皇帝が「溥儀」です。「皇帝」への即位と退位を三度繰り返したその人生は波が激しくて正に激動そのもので、だからこそ今でも人々の記憶に残っているのでしょう。その一方ではあまり語られませんが、鉄道建設・工業化・農業振興といった分野でも中国の発展に大きく貢献し、現在の中国の著しい経済成長の礎を築いた偉人となります。