北里柴三郎(きたざとしばさぶろう)
北里柴三郎は日本の医学者であり細菌学者です。第1回のノーベル生理学・医学賞の最終ノミネート者の1人であり、現在の東京大学医科学研究所(当時の名前で私立伝染病研究所)の創立者でもあります。「日本の細菌学の父」としても知られています。
※画像(国会図書館ウェブサイトより引用)
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北里柴三郎の生い立ち
現在の熊本県阿蘇郡小国町に生まれ、庄屋の息子として育ちました。幼少期に四書五経や漢籍や国書を学びました。明治8年には東京医学校への進学を経て、内務省衛生局へ就職しました。その後、ドイツのベルリンへ留学し、破傷風菌だけを取り出す技術の確立などの功績を立てました。当時、米国の研究機関や大学から招きの声がありましたが、日本の脆弱な医療体制の改善の必要性を感じ、日本へ帰国しました。
北里柴三郎の人物像
日本医学への想いが強く、日本の医療体制の発展のために、自身の出世を切り捨てるような義理と人情味のある人物像が伺えます。
北里柴三郎の偉業
偉業1.破傷風菌純粋培養の成功
偉業2.血清療法の確立
偉業3.私立伝染病研究所の設立
偉業4.ペスト菌の発見
偉業5.慶應義塾大学医学部の創設
北里柴三郎の作品や名言
医学に関連した名言も数多く残されており、「医者の使命は病気を予防することにある」「研究だけやっていたのではダメだ、それをどうやって世の中に役立てるか考えよ」などの言葉が知られています。
北里柴三郎まとめ
その人生を医学の発展に費やしたといっても過言ではないくらいの功績を残した人物になります。現存の医療技術の中には、北里柴三郎が確立したものが元になっているもの多く、日本の医学会において代表的な人物になります。また、近代日本医学の父として功績が評価され、新千円札の肖像がとして起用されることが決まっています。