「朝飯前」の使い方や意味、例文や類義語を徹底解説! 朝飯前(あさめしまえ) 「朝飯前」とは「朝食前の僅かな時間で片付けられる事から、得意や容易いといった簡単に終えられる喩え」です。例えば手先が器用な人なら普通は何時間も掛かる作業を短時間で終わらせられます。その人にとっては細かな作業はまさに「朝飯前」で、どんなに複雑で細かい事を要求されてもどうって事はないのです。このよう... ことわざ・慣用句 2023年2月3日 言葉の手帳監修者
「足が棒になる」の使い方や意味、例文や類義語を徹底解説! 足が棒になる(あしがぼうになる) 「足が棒になる」とは「長時間の立ち作業や歩き疲れからくる疲労度を表現した喩え」です。1日の仕事が終わり自宅に到着し、ふくらはぎを擦りながら思わず「足が棒になった」と呟いた事はありませんか? 営業職で何時間も歩き続けたり工場勤務で1日中立ちっぱなしなら、そんな疲れが日常茶飯事だと思います... 一般 2023年2月2日 言葉の手帳監修者
「相槌を打つ」の使い方や意味、例文や類義語を徹底解説! 相槌を打つ(あいづちをうつ) 「相槌を打つ」とは「人の話に合わせて”はい”や”分かる”等々を入れて調子を合わせる事」です。会話というコミュニケーションは同時に話す訳ではなく、聞き手と話し手が交互に入れ替わり聞き手の際には「相槌を打つ」から成立をするのです。自分だけ好き勝手に話し、聞き手になった途端にダンマリならちょっと... ことわざ・慣用句 2023年2月2日 言葉の手帳監修者
「人口に膾炙する」の使い方や意味、例文や類義語を徹底解説! 人口に膾炙する(じんこうにかいしゃする) 「人口に膾炙する」とは「獣肉や炙り肉は(古代中国では)大変親しまれている料理な事から、大勢から話題になったり人気を獲得する喩え」です。日本でも昔は誰もが同じアイドルや俳優に熱狂をした時代がありましたが、しかし、ネット社会の到来からなのか趣味嗜好は細分化されてしまい、誰もが共感を... 一般 2023年2月1日 言葉の手帳監修者
「三つ子の魂百まで」の使い方や意味、例文や類義語を徹底解説! 三つ子の魂百まで(みつごのたましいひゃくまで) 「三つ子の魂百まで」とは「3歳頃までに形成された性格や考え方は大人になっても変わらず残り続ける事」です。もちろん一概には言えませんが、子供の頃に優しい人は大人になっても優しく、逆に悪い性格だと大人になってもそのままな事から、人の本質は幼少期に形成されるのでその後は何があっ... 一般 2023年1月31日 言葉の手帳監修者
「取り付く島もない」の使い方や意味、例文や類義語を徹底解説! 取り付く島もない(とりつくしまもない) 「取り付く島もない」とは「人に対して無視や冷淡など相手にしない態度」です。営業職を経験した人なら「取り付く島もなく断られる」のは日常茶飯事で、それこそ人間不信に陥りそうになりますよね。人を人として見ない対応をするので、そこに憤りや遣る瀬無さを覚えるのですが、帰社すると今度は上司か... ことわざ・慣用句 2023年1月31日 言葉の手帳監修者
「雑魚の魚交じり」の使い方や意味、例文や類義語を徹底解説! 雑魚の魚交じり(ざこのととまじり) 「雑魚の魚交じり」とは「小さな魚が大魚の群れに交じる事から、弱い者や無能な者が大物や優秀な者が集う中にいる場違い感の喩え」です。無能でも優秀な集団の中に身を置くとまるで自らも優秀のように錯覚をしますが、同時に何かがあるとその無能さがさらに露呈される危険性もあります。なぜなら人の本質は... ことわざ・慣用句 2023年1月30日 言葉の手帳監修者
「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」の使い方や意味、例文や類義語を徹底解説! 桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿(さくらきるばか、うめきらぬばか) 「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」とは「桜は枝を切った箇所から菌が入り腐ってしまうのに知らずに切る者を馬鹿、梅は大きく成長させる為に剪定が必須なのに切らない者を馬鹿として、常識知らずを非難する喩え」です。現代なら新入社員などに厳しい口調でこの諺をかけたらパワハラで訴... ことわざ・慣用句 2023年1月30日 言葉の手帳監修者
「骨肉相食む」の使い方や意味、例文や類義語を徹底解説! 骨肉相食む(こつにくあいはむ) 「骨肉相食む」とは「親子・兄弟・親戚など血縁者同士の激しいトラブル」です。お金というのは人を狂わせるだけに遺産相続の機会が訪れると、親子や兄弟でも豹変する事態になり兼ねます。誰にいくら相続させるのかは曖昧となる事も多く、1人でも不平等と思えば何かの拍子に「骨肉相食む」で大騒動に陥るのです... ことわざ・慣用句 2023年1月29日 言葉の手帳監修者
「俎上の魚」の使い方や意味、例文や類義語を徹底解説! 俎上の魚(そじょうのうお) 「俎上の魚」とは「絶体絶命の状態をまな板の上の魚と表して、相手が自分の命運を握っている死を待つだけの喩え」です。とかく大ピンチは脱する前提で「九死に一生を得た」や「絶体絶命からの生還」と表現されますが、本来はもう少しのチャンスも残っていなくて完全なる終わりを待つだけなのです。しかし、とんでも... 一般 2023年1月14日 言葉の手帳監修者